バラギガの鐘
[ 920字|社会 (society) ] 有料米大統領の訪比を前に、抵抗の象徴バラギガの鐘の米からの返還要求の声が再燃
住民が蜂起したのは一九〇一年九月二十八日。百二周年記念日となった二十八日は八九年以来、同州の祝日とされており、バラギガ町では戦いの再現劇が演じられ祭りムードに包まれた。フィリピンでは九二年の米軍基地撤去以降、鐘返還を求める運動が本格化した。一方、米側は戦いを米兵四十八人が死亡し、比米戦争中、最悪の敗戦としている。このため、「鐘は虐殺の記念物」として返還には難色を示してきた。