「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
33度-25度
両替レート
1万円=P3,780
$100=P5880

8月19日のまにら新聞から

就籍は「二世の存在証明」 梅村みずほ参議院議員単独インタビュー

[ 3128字|2024.8.19|政治 (politics) ]

日本維新の会の梅村みずほ参議院議員が来比、まにら新聞のインタビューに応じる。「残留日本人二世の国籍回復は当事者の存在の証明であり、存在の肯定だ」

(上)インタビューに応える梅村みずほ参議院議員=8月、首都圏マニラ市で竹下友章撮影。(下)セブ、ダバオで残留二世当事者から聞き取りを行った梅村みずほ議員=PNLSC提供

 日本維新の会所属の梅村みずほ参議院議員が7月末から8月はじめにかけ、比を訪問した。子育て支援や児童虐待、共同親権など、親子関係の問題を中心に取り組んできた梅村議員が比訪問に当たって最も重視したのは、残留日本人二世(残留日系人)の無国籍問題だ。今年5月ごろに残留二世問題を書籍で知った同議員は、その日に残留二世の国籍回復に取り組むNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)」に電話、翌日には同NPOの猪俣典弘代表と数時間の議論を通じ問題を把握し、今回初めて比を訪問した際には、自ら残留二世の当事者と面会し聞き取りを行った「行動派」だ。そんな梅村議員がこのほど、まにら新聞の単独インタビューに応じた。(聞き手は竹下友章)

 ―今回の訪問の目的は。

 戦没者の慰霊、残留日本人二世問題の調査、人材受け入れに関する視察の三つ。コロナ禍で外遊できない期間があったが、先の大戦で戦域別最大の犠牲者が出たフィリピンに、任期中に慰霊訪問したいとの思いはずっと抱いており、今回ようやく実現した。

 戦死した旧日本軍を慰霊することは、日本の国会議員として当然。激戦地レイテ島の様々な慰霊碑や、ダバオの日本人墓地、(日本人戦犯が死刑となった)モンテンルパや、カリラヤ日本人戦没者霊園にも足を運んだ。その中で、戦時中に通訳などを行う軍属として日本軍に参加し戦火で命を落とした日本人移住者や、約110万人のフィリピン人戦没者にも思いを致し、日比双方の犠牲者に対し御霊(みたま)安からんことを祈った。

 

 ―残留二世問題についての考えは。

 慰霊の思いともつながっている。日本軍に参加した移民一世は戦火などで既に亡くなっており、今となっては冥福を祈ることしかできない。しかし、そうした方々が、飢餓により、あるいは銃弾によって倒れる前、何を心残りにされていたか。それは、家族を残して旅立たねばならないこと、とりわけ子どもたちの行く末を案じながら絶命されたのではないか。彼らが亡くなるときに、どうか幸せにと願った子どもたちが、その後の反日感情の中で非常に苦しい思いをして、日本人であることを隠して生きていかなくてはいけなかった。教育を満足に受けることができないなど様々な不条理を味わいながら、それでも日本人としての国籍を求めている方々がいる。亡くなった方々のためにできることはほとんどないが、その方々の忘れ形見である残留二世の方々には国会議員としてできることがある。既にたくさんの二世が国籍回復を果たせぬまま亡くなってしまっている。本当に申し訳ないと思いながら、まだできることがあるんだったら、問題解決に取り組みたいと、非常に強く思う。

 ―残留二世に面会した。

 今回、当事者数人に直接お会いした。一人はハツコ・イデモトさんというセブの山の中にお住まいのおばあちゃま。非常に笑顔のかわいらしい方。その方のお父様は必死に地域のために貢献されてこられた。それをよく知っている周囲の方々がイデモトさんを守ってくれたおかげで、日本人であることによる辛い経験はそこまでしないで済んだ方だった。そんな彼女でさえ、激しい反日感情がある中で、結婚する時に日本人のルーツを隠さざるを得なかった。

 お宅にお邪魔すると本当によろこんでくださって、何度も手をさすってくれた。お家には博多人形やかぶとがあり、日本の心を忘れていない、自分のルーツを決して忘れてはいないんだと実感した。フィリピンの島の山の中に小さなお家があって、そこに私たち日本人と同じルーツをもった方が住んでいらっしゃる。このことに言葉にできない不思議な気持ちが湧き上がり、お会いしたとき、自然と抱き合った。

 また、ダバオ日系人会長で日系二世のエスコビリャ会長にもお会いした。彼女は判事も経験されているくらい社会的に重要な役割を担ってこられた方。いつも理路整然としている方と聞いていたが、私が「国籍回復はあなた方の存在の証明であり、存在の肯定だ」とお伝えしたとき、涙しながら聞いて下さった。国籍の回復が、二世にとってどれだけ大切なことなのか痛感できた。

 残留二世の方々が今まで味わってこられた苦しみ、そして亡くなっていった一世が最後まで気にかけていたその思い。これと真正面から向き合って問題解決していくということは、私たちの責務。国籍を認めることで、残留二世の存在は肯定される。日本人は残酷なだけの存在でなく、地域のために貢献した父たちのように、温かさのある血の通った人たちでもあったんだ、父たちの祖国はそういう国なんだということを、彼女たちに誇ってもらいたい。

 ―国会議員としてどのように政治活動に反映させていきたいか。

 まずは議員の仲間を見つけたい。例えば日比友好議員連盟。私も今回の問題を知って、議連に入った。日比の友好のための議員連盟なのだから、議連の諸先輩方とこの問題で一緒に働くことはできないかと。

 また、当然国会議員だから、国会の質疑がある。この問題は外務省だけでなく、法務省、厚生労働省の所管と深く関わっている。なので、どこがどのように進めていくべき問題なのか、彼らは日本人なのかそうではないのか、そういった根本的な質問を含めて議会で政府に見解を問うていく。そして、私たち議員が取るべき方法を議会の中で探し出していく。

 ―中国残留孤児支援法(議員立法)の改正を通じた一括解決も長らく求められている。

 法改正というのは、私も実は念頭に置いている。しかしこれは非常にデリケートな問題。現在でも日本人と比人の間に生まれた子どもはいるし、様々なケースがある。ただ、あくまで戦争のために辛酸を舐める他なかった残留二世の方々の救済に特化してということであれば、大いにありえる選択肢だ。

 ―フィリピンからの労働力受け入れと残留二世問題の関連は。

 今後、先進国は人口減少にあえぐ国が多く、人材獲得は国際競争になっていく。人口増を続けるフィリピンは特別な国。英語が話せるフィリピンの若い人たちの中には、より所得水準の高い欧米、豪州で働く選択肢もあるのに、日本語を学び、日本で働きたいという人達がいてくれる。こうした中、日比の関係を友好に保ち、日本に対して好意的な思いや夢を抱いて働らこうとする人をフィリピンと一緒に育て、社会で活躍していただくことが重要だ。特に、日本にルーツを持ち、それを動機に日本に来てくださる方というのは、日本にとってありがたい存在だ。

 ただ強調しておきたいのだが、私は「日本が人口減少してきたから、日系人の皆さん来てください」というのは、虫がいい話だと思っている。その前に解決すべき問題がある。残留二世問題は、今でも十分遅れている。1903年以降、たくさんの日本人がフィリピンに移住した。彼らは努力によって地域に貢献しながら産業を生み出し、豊かさを手に入れ、幸せに暮らしていた。しかし戦争をきっかけに彼らは悲劇の道を歩まざるをえなかった。

 フィリピンに渡って仕事をしていた一世も日本人。そしてその方々の子どもたちも、当時の法律では父親の国籍に従う規定だったので、日本人なんですよ。それをいまだに認めていないというのは筋が通っていない。遅ればせながら、当たり前の筋を通す。これが私たちがやるべきことだ。

 うめむら・みずほ 立命館大卒。旅行代理店(JTB)勤務を経て、フリーアナウンサーに転向。関西メディアを中心に活躍する。2019年参議院選挙に大阪選挙区から立候補し、初当選。「お母さん目線の政治」に取り組む。

政治 (politics)