記憶と自尊心を
戒厳令布告記念日
米国にとって不名誉な日が真珠湾攻撃を受けた1941年12月8日とすると、フィリピンにとって不名誉なのは、フェルディナンド・マルコスが戒厳令を布告した72年9月21日だろう。この戒厳令によってわが国は暗黒時代に突入し、多くの人々が心に傷を負った。
しかし最近、ソーシャルメディアではフィリピンの近代史を別の見方で理解する人々の発言が増え、このような認識に賛同しない者も増えている。マルコス時代は、比にとり最善だったという考えだ。たとえば、当時の比経済は日本に次いでアジアで2番目と好調だったとか、犯罪が少なく、道路もきれいだったとか、人々は規律を守り、人権侵害も神を認めない共産主義から国を守るための闘いだったという考えだ。
このような見方はネットという限られた世界だけではない。昨年、戒厳令布告40周年を控えて実施された学生や勤労者、露天商などを対象にした世論調査では、彼らの多くがマルコスによる強権政治に対し、郷愁を感じているという結果が出ている。86年のエドサ革命以降も様々な汚職スキャンダルにまみれ、貧困問題が解決せず、民主主義や法令国家としての機能が働いていない社会に失望したのだ。
学校で教えていないことが問題だと指摘する声もあるが、教育者を責めるだけでは不十分だ。アキノ政権は今年2月にマルコス人権被害者補償法に署名したが、被害者の訴えを受け付ける担当部局はまだ開設されていない。マルコス一家は政治復帰し、当時の政商(クローニー)も十分に訴追されていない。
イメルダは息子マルコス上院議員の次期大統領選出馬を期待すると表明したが、彼らを止められるのは過去の記憶と自尊心を国民が取り戻すこと以外にはない。(21日・インクワイアラー)