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3月7日のまにら新聞から

バラトック鉱山

[ 956字|1999.3.7|社会 (society)|名所探訪 ]

息吹き返す「為政者の懐」

 一度は死んだフィリピン最古の金鉱山が、観光スポットとして息を吹き返しつつある。

 ルソン島北部ベンゲット州イトゴン町にあるバラトック鉱山。比米戦争直後の一九○三年、金鉱脈を発見した米国人が発掘会社を設立、その五年後から本格的な採掘作業が始まった。

 太平洋戦争中には、旧日本軍が鉱山や精錬施設を接収し、軍資金ねん出の拠点とした。今も、軍の病院に使われた施設が鉱山の一角に残る。

 一九八○年、鉱山の操業はピークを迎える。六千人の男たちが「山」に入り、延べ棒(十八│二十キロ)に換算して月間四十五本程度の金を掘り出した。当時は、マルコス元大統領の指示を受けた中央銀行が、延べ棒をすべて買い上げ海外の市場へ流していたという。

 二十世紀の「為政者」たちの懐を膨らましてきた鉱山は、九二年十一月にその役目を終えた。九○年七月十六日、同州一帯を襲った大地震で地下坑道から地下水が噴出し操業がストップ。さらに、貴金属相場の下落と生産コストの増大が追い打ちをかけた。

 朽ちる運命にあった廃坑に、再びダイナマイトのさく裂音と前照灯の光が戻ったのは九七年四月だった。廃鉱管理会社が運転資金稼ぎのために「坑道ツアー」を始めたためで、これまでに延べ二万四千人の観光客がツアーに参加したという。

 頭に前照灯付きヘルメット、腰にライト用バッテリー、足に長靴││の鉱山労働者姿で坑道内をめぐるツアーのハイライトは、ダイナマイトが坑道内でさく裂するとどうなるのか、を体験できる一瞬だ。

 「皆さん、前照灯を消して下さい」。ツアー案内人が客に呼びかける。漆黒の闇に包まれた坑道内で「それでは点火します」という声だけが響く。爆破地点からは約百メートル。一瞬の沈黙の後、ごう音とともに届いた空気の塊に体がぐっと押される。さく裂したのは、火薬の量を半分に減らしたダイナマイト一本。採掘時は三十六本を岩盤に埋め込むという。

 廃鉱になって六年以上が経過した今、山の男たちが汗とほこりにまみれる往時の様は、もう想像の対象でしかない。ツアー自体も遺跡巡りのような趣だ。ただ、古ぼけたディーゼル機関車の排ガスにむせびながら狭い坑道を行く「トロッコ列車」の乗車体験だけは別。かつて男たちが苦闘した採掘現場の厳しさを身をもって教えてくれる。(酒井善彦)

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