ハロハロ
約30年前に亡くなった三遊亭円生の跡目をめぐる落語家同士の「抗争」が話題を呼んでいる。円生は桂文楽、古今亭志ん生、林家正蔵(彦六)と並ぶ昭和の落語界を背負った実力者だが、所属する落語協会の真打ち乱造に抗議して脱退、以後、寄席から排斥された。一門の弟子、円楽が引き継いだが、円楽も昨年死去。円楽の遺志を受けて孫弟子に当たる鳳楽が7代目円生を襲名する動きに出た。
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これに異を唱えたのが元弟子の円丈や円窓。彼らは円生と共にいったんは脱退したが、寄席に出られなくなったため、わびを入れて落語協会に復帰した。円楽派からすれば脱落者だ。しかし、円生の名跡は円楽一門が預かっているわけではないと挑戦状を突きつけた。そこで実力勝負!と両派の円丈と鳳楽が浅草の東洋館で対決した。題して「円生争奪戦」。演目は円生が得意とした「妾馬(めかうま)」「居残り左平次」。
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なんだかこっけいな騒ぎだが、当日、同館は補助いすがぎっしり埋まるほどの大入りだったというから、寄席の景気付けには一定の効果があったようだ。6代目円生は1979年9月3日、自らの誕生日に急逝。直後に上野動物園のパンダ・ランランが死んだ。新聞の扱いはパンダの死が円生をしのいだ。当時海外駐在だったが、翌々日、日本から届いた紙面を見て、かつてのファンとしては大いに憤慨したものだ。(紀)