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8月3日のまにら新聞から

清い引き際

[ 706字|2009.8.3|社会 (society)|新聞論調 ]

追悼:アキノ元大統領

 「たかが一介の主婦」︱︱末期症状を来していた独裁者、マルコス大統領が、大統領選の対抗馬としてコラソン(コーリー)・アキノの名が上がった際、口にした言葉だ。

 コーリー自身も1985年12月に行った出馬宣言で、「大統領への道を選ぶとは、思ってもいなかった」と認めた。だが、同時に「私が国民に唯一もたらせるものがあるとしたら、それは私の『誠実さ』です」と続けた。

 コーリーはマルコス政権下で暗殺されたベニグノ・アキノ元上院議員の妻だが、政治とは全く関係のない生活を送っていた。大統領職がどのようなものであるかも知らぬこの女性は、数カ月後に比初の女性大統領に就任、独裁者をマラカニアン宮殿から追い出したほか、軍事クーデター未遂事件にも遭遇した。

 そして約2年後には「自由憲法」とも言うべき新憲法を、圧倒的多数の国民投票で成立させた。この結果、独裁者の手に握られ続けた立法、司法両分野の独立性が回復された。

 コーリーはその後もクーデター未遂事件に見舞われたが、92年に次期大統領に政権を平和裏に引き継いだ。無血の政権移譲は実に27年ぶりのことだった。

 最後の施政方針演説でコーリーは、「大統領職を平和のうちに引き継げるのは『民主主義の成果』です」と強調した。現政権下で起きていることを見るにつけ、「清く名誉ある引き際」がいかに大切かがよく分かる。

 コーリーは決して権力におごることはなかった。国民の長所、そして自身の誠実さを固く信じ、強い意志を持って職務をこなした。この姿勢は最近では見られなくなった。コーリーは自由の大切さを国民に示した。冥福を祈る。(2日・スター)

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