ハロハロ
太平洋戦争終了後の昭和二十一、二年ごろ、鳥取県西端の温泉町で暮らしていた。どっと米、英兵が進駐して来て、寂れた温泉街は一変した。キャバレーが何軒もでき、濃いルージュの女たちが入り口で外人兵と熱いキスなどしている。小学五年生にはどきどきするようなショットだった。食糧難で腹を減らし、栄養不足のせいか足腰に始終腫れものができ、悩まされた。
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農村部にある学校へ行けば、白米をたっぷり食べて元気いっぱいの村のやつらにいじめられた。温泉町から通う上級生約十人は「温泉人」と呼ばれ、進駐軍からチュウインガムやチョコをもらって来い、などと難題を吹っかけられた。言いなりになる気の弱いやつがいじめの対象に。時に殴る蹴るの暴行。下校時、「村人」は待ち伏せしているのだ。逃げるが勝ち、銀シャリ食っているやつらにかなわない。
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学校へ行くのは気が重かったが、登校拒否など考えもしなかった。両親は食料確保に追われて、五人の子供をケアしているひまはなく、長男のぼくは、一歳の妹のおしめを替えるのが役目だった。すさんだあの時代と比べれば平和な今、なぜ子供がいじめに屈してしまうのか。とはいうものの後遺症は残っていて、小学校の同窓会には一度も出たことがない。(紀)