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10月3日のまにら新聞から

人道的役割果たす

[ 680字|2005.10.3|社会 (society)|新聞論調 ]

比の難民受け入れ

 一九七〇年代半ば、インドシナ半島で共産主義が勝利した後、東南アジア地域に難民問題が発生。各国は全体主義体制から逃避する難民に対応せざるを得なくなった。ベトナムからフィリピンへ押し寄せた「ボートピープルの第一陣」は両国にとって衝撃的だった。

 彼ら難民は当時の中国を席巻した文化大革命による犠牲の象徴だ。共産主義中国はは都市住民を再教育と称して農村に送ったが、幻想は悪夢に変わった。産業界に指導者、科学者が不足し、貧困がまん延した。共産主義者は人々に銃口を向け、水田は戦場と化した。

 戦場から逃れた数万のインドシナ人はボートに乗り、外洋に出た。自国で座して死を待つよりも、荒波に立ち向かうことを選択、「政治亡命者でなく困窮した経済移民」だという西欧諸国の主張に抵抗した。

 海外就労がこの国の経済を支えていると認識する比国民の多くが、海外で収入を得ることに誇りを感じている。こんな意識を背景に、東南アジア諸国で比だけが難民を受け入れた。バタアン州に設置された避難所は、難民受け入れのモデルとの評価を受けた。一九九〇年代に入ると、比政府はこれ以上の難民受け入れは不可能として、難民を追い返した。

 しかし、カトリック教会関係者はパラワン島に受け入れ地を設け、ベトナム難民が集まり始めた。この難民二百人余りが九月二十六日、「比が恋しい」と語りながら米国へ移住した。比国民は自ら抱える困難を克服し、難民問題に人道的な役割を果たしている。ある司教は「難民を支援し続ける。単に同じ船に乗っているという理由だけではない」と決意を語った。 (9月30日・インクワイアラー)

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