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4月11日のまにら新聞から

メッセージは不滅

[ 691字|2005.4.11|社会 (society)|新聞論調 ]

ローマ法王の死去

 冷戦下、世界に二つの超大国があった時代、国外にはほとんど名を知られていなかった一人の大司教が共産主義に対する抗議の声を上げた。哲学者であり、詩人でもあったカロル・ヴォイティワは「ポーランドのカトリック教会は、もはや沈黙の教会ではなく自分の声を見つけた」と宣言したのである。

 この大司教は母国ポーランドだけでなく、旧ソ連圏に組み込まれた東欧における民主主義を求める力強い声となり、ソ連型共産主義によって苦しめられた国々に愛と希望のメッセージをもたらしたのである。この声はローマにまで響き、枢機卿らは彼を四百五十五年間で初めてイタリア出身以外の法王として選出し、ヨハネ・パウロ二世が誕生した。

 ポーランドの民主化運動や鉄のカーテンの崩壊は教会からの声に負うところが大きい。法王がマルコス政権下にフィリピンを訪問したことも、一九八六年のピープル・パワーを頂点とする民主化運動に大きな影響を与えた。パウロ二世が死を迎えようとしていた中、彼が自由の遺産を残した国々では哀悼の声が満ちていた。

 ヨハネ・パウロ二世は病に苦しみながら命の価値についてメッセージを伝えた。パーキーソン病や足腰の弱体化に見舞われ、彼の最後の日々においては引退のうわさも流された。

 しかし、法王はその座に留まり続けることで命の尊厳という力強いメッセージを 送った。自由や幸福の追求と同様、受難も人生の一部であることを信者たちに教えたのである。彼は自分の悪化しつつある健康状態を世界の目から隠すことはせず、生き続けるための闘いを日々我々に示した。

 法王は闘いに破れたが、彼のメッセージは不滅だ。(4日・スター)

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