審判を下すのは国民
大統領出馬・不出馬問題
アロヨ大統領が「次期大統領選への出馬・不出馬の決断は神託に委ねる」と発言した翌日、就任以来最低となった支持率調査の結果が公表された。調査実施機関が「国軍反乱事件の解決がもたらしたプラス効果はその後(夫ホセミゲル氏の疑惑浮上などで)打ち消された」と分析するように、事件直後の八月に五一%だった支持率は九月下旬には四一%まで急落した。大統領府にとって一番気になる部分は、全国的な世論形成の核となる首都圏の支持率減少幅が大きかったことだろう。
今回の調査結果は、二〇〇二年末に不出馬を表明した大統領の決意に影響を与えるのだろうか。過去九カ月間、立候補できる選挙に出ないという前代未聞の決意はまるで「聖書に書かれた約束」のような、不変のものであり続けた。大統領自身は現在も決意にこだわり続けているようだが、政府・与党にとっては「特定の状況下での決意」でしかない。周囲の状況が変われば大統領は当然、「心変わり」を強いられる。
一般国民と同様、政治家は約束を守らなければならない。反面、一般国民と同様に政治家は約束を破ることもある。最近では、エストラダ前大統領の弾劾裁判で重要証拠の開示を拒んだ上院議員たちがその好例と言えるだろう。
ここで問題になるのは、「大統領の約束」では決してなく「大統領の実績」であることを忘れてはならない。それ故、調査結果により大統領が変心するかどうかという議論は不毛である。大統領は聖職者に「決断」を委ねようとするかもしれないが、「生活がよくなったかどうか」という真の審判を下すのは聖職者ならぬ一般国民である。(9月30日・インクワイアラー)