台風ヨランダ(30号)
高潮で母を失った少年、行方不明の妹(3)を探しながら「僕は泣かない」と笑顔
タクロバン空港の近くに住んでいたダンテ・デラクルス君(11)は台風ヨランダ(30号)の襲来で、妹と母を亡くした。自身も高さ約4メートルまで達した高潮に飲み込まれたが、奇跡的に助かった。濁流に流され、家族が離ればなれになる瞬間、母メロニーさん(32)はダンテ君の右手を強くつかみ、「私が死んでも泣かないで」と伝えたという。ダンテ君は、がれきの中から拾ったサングラスで目を隠しながら「だから、僕は泣かないんだ」と笑顔を見せた。
ダンテ君一家が住んでいたバランガイ(最小行政区)88は沿岸部の低地で、貧困層の住宅が密集しているところ。台風が襲来した8日朝、トタン板と木材でできた家は、屋根が一気に吹き飛ばされた。高潮による濁流の流れは強く、家全体を瞬く間に飲み込んでいったという。
暴風雨と濁流が押し寄せる中で、父、母、姉、妹の4人と一緒に家の前に浮いていたジプニーにしがみつき、暴風雨を体に直接受けながら、台風が過ぎるのを待った。その途中で、ダンテ君は濁流に飲み込まれ、家族と離ればなれになった。ダンテ君には、その後のはっきりした記憶はないが、水が引いた後、歩いて自宅へ戻ったという。
母の遺体は見つかったが、妹トリクシーちゃん(3)は行方不明のままだ。ダンテ君と姉デイジーミーさん(13)は、近所の仲間と一緒にがれきの街で、妹の遺体を探し回った。赤い半袖シャツに半パンツ姿のダンテ君は、右足に黄色のビーチサンダルを片方だけ履き、左足ははだし。左足裏の擦り傷から血がにじみ出ている。
妹探しの間、2時間ほど同行させてもらったが、時折笑顔を見せるダンテ君とは対照的に、姉デイジーミーさんの表情は晴れない。母がダンテさんに伝えた「最後の言葉」を聞いたかと聞くと、「『泣くな』と言ったんでしょ。弟から聞きました」と目に涙をためて答えた。
ジプニー運転手だった父ダンテ・シニアさん(37)は生き残った親族と、台風通過後、がれきの中からトタン板と木材を集め、掘っ立て小屋を建てた。シニアさんは「食料と水はないが、これで風雨がしのげる」とつぶやきながら、小屋の前で、水にぬれたコメを乾かしていた。
ダンテ君の親戚、ガーリー・デラクルスさん(22)も、姉セセルさん(25)が帰らぬ人になった。セセルさんの遺体は、台風襲来から3日経過した11日午後も、トタン板で隠され、路肩に放置されたままだった。日差しが弱まり、気温が落ち着き始めた同日午後3時ごろ、ガーリーさんは台風襲来後、初めて姉の遺体と対面した。
ガーリーさんは生き残った妹2人と一緒に、異臭を放つ、どす黒い遺体に近づくと、ハンカチで鼻を覆いながら、トタン板を左手で持ち上げた。ガーリーさんは、変わり果てた姉に対面した瞬間、一瞬動きを止めて、大粒の涙を流した。(鈴木貫太郎)