各国の高校などで補助的日本語教育や日本文化紹介に携わる国際交流基金の日本語パートナーズ(NP)事業が、フィリピンで第11期目を迎えている。昨年9月~今年3月半ばまで現在計10人が首都圏やその近郊、アルバイ州、セブ、ボホール両島の公立高校で地域コミュニティーに溶け込む交流活動を行っている。残り任期二カ月を切った1月23日、同基金マニラ日本文化センター(JFМ)の伊藤亜紀日本語専門家、ケリー・コー日本語教育プログラム・オフィサーらが、アルバイ州レガスピ市のカバガン高校を訪問した。
午前と午後の二部に分かれ生徒1234人が通う同校では、ジュニアハイ1年(日本の中学1年に相当)からシニアハイ1年(同高校1年に相当)まで、計84人が日本語を学ぶ。ビコール地域において、外国語授業に日本語を取り入れる学校は同校とパンプロナ国立高等学校(南カマリネス州パンプロナ町)のみ。同地域へのNP派遣は今回が初めてだ。
日本語クラスの生徒たちは、両国の小旗を振ってJFМ一行を迎えた。生徒たちの中にNPの岡本英里さん(25)の姿もあった。サロメ・マシナス校長らと歓談後、一行はカバガン高校で本教科と追加教科である日本語を兼任するフィリピン人教師3人による授業見学を行った。
比人教師が主導する「通常授業」形式で、岡本さんは日本語の発音指導やゲームも取り入れた授業進行を手伝うなどした。外国人に英語検定のIELTSを教えるなどし、同校で6年前から英語教師を務めるエルミー・エンジェル先生は、JFМを通じて日本語研修を受け、3年程前から日本語を教える。この日の授業では教室の床に長い線を引き、空間をA~Dに4等分。生徒は単語の意味と一致する空間に移動するクイズゲームで、最終的に残った一人に景品が与えられ、大盛り上がりだった。
▽自分は外国語が苦手
授業後、ジュニアハイ3年のダスティン・ビリャルスさん(14)は、岡本さんとの交流について、「(向き合うのが)少し恥ずかしくて難しい」と言う一方、「すごく優しい」と頬を赤らめた。ユリエルリッチェル・ポンセさん(14)は「カバガン高校に入った時は、日本語クラスに加わることは考えていなかった。でも加わってみたらとても楽しい」と喜びを伝えた。日本で英語教師になるのが夢というジョナス・アイコッチョさん(14)は、「元々英語すら苦手で、日本語まで勉強するとは思っていなかった。でも両親から強く勧められた。今は感謝している」と話す。行って見たい場所は、好きなアニメ「呪術廻戦」の舞台である「渋谷スクランブル交差点」だという。
また同校は午後、市中心にあるSМモールのフードコート脇に場所を借りて、「2025年カバガン高校SPFL(外国語のための特別プログラム)エキシビション」と題した日本語イベントを実施。JFМ一行や岡本さんらが、総勢60人に及ぶ生徒によるコスプレとダンス、歌の即席審査員を務め、表彰を行った。
▽初の「マイノリティー」体験
大阪で生まれ育った岡本さんは、大学で英語教育を専攻中に2年休学し、カナダのバンクーバーで1年半、ワーキングホリデーと留学を経験した。ホームステイ先がフィリピン人家族だったことがきっかけで、卒業後にNPの比派遣に応募した。比では、多民族国家のカナダでは意識しなかった「外国人の自分が、初めてマイノリティーになる場所で生活している」との実感を抱いているという。将来的には、自身が受け持つことになるだろう日本の中学・高校生に「外の世界を見せられるような人になれれば」と夢を語った。
活火山で噴煙を上げるマヨン山の麓にあり、頻繁に台風や大雨が見舞うレガスピ市にて、「一週間通して授業ができたのは一度だけ」。昨年10月下旬には連続台風で、自宅前の道が腰まで水没したことも。水が引いても「電気がなかなか戻らなかった。それでおにぎりセッション用に、冷蔵庫に作り置いていたツナマヨをしかたなく一人で消費した」と笑った。一方で、台風後に垂れ下がっていた電線に触れたとみられる「ジプニーが自宅前で炎上して、運転手が亡くなった」つらい場面にも遭遇した。しかし、そうした逆境にもめげず、比に明るく適応している姿に、訪問後の伊藤専門家は「最初は心配もしたけれど、思った以上に元気そうで良かった」と口にした。 (岡田薫)