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歴史上の英雄を身近に

2012/6/25

リサール生誕151年

 ほとんどのフィリピン人が思い出せない歴史と言えば、1762年から1764年まで短期間、英国に占領されていた時代がある事実だ。そして、多くの人が忘れたいと願うのは、1942年から1945年にかけての日本による過酷な占領時代だろう。

 現在、比日友好記念日は7月24日だが、かつては2月28日だった。生誕から151年を迎えたホセ・リサールが、横浜に到着したのが1888年のその日だからだ。しかし、1945年2月のマニラ戦で日本兵に略奪、強姦、虐殺され、家族や友を失った人々が抗議した結果、友好記念日も、友好月間も2月から7月へ変更された。

 家族に送った手紙によると、リサールは、フランスの病院で日本人に間違えられたことがある。彼は誇りを持って「私はフィリピン人だ」と言い返した。パリの美術館で日本人と間違えられたときは、日本人を装い、来館者の求めに応じて日本人画家の作品について、もっともらしい解説をしていた。

 ところが、若い女性から、絵の下に書かれた漢字の意味を聞かれて、はたと困った。もし日本語の分かる人が居たら、うそに気付かれる、と怖くなった。そこで、リサールは「若者に欧州の生活様式を学ばせようと、天皇に派遣されすっかり欧州人になったので、日本語を忘れてしまった」と、出任せの言い訳をした。

 こうしたリサールの逸話は、フィリピン史の中ではささいなことだろう。しかし「歴史上の人物」として、まるで化石のように教科書で扱われる人間リサールを、よみがえらせるきっかけになるのではないだろうか。手紙や日記を読めば、リサールがいかに陽気な英雄だったかが分かる。(20日・インクワイアラー、アンベス・オカンポ氏)

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