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ハロハロ

2010/10/25 社会

 人にはそれぞれ、忘れられない日が年に何度かあるようだ。筆者の場合、フィリピンに居を移してから10月25日が、その一つになった。1944年、太平洋戦争終結前年のこの日、関行男海軍大尉率いる第一次神風特別攻撃隊の零戦5機が250キロの爆弾を抱いてルソン島中部にあるパンパンガ州マバラカット基地を飛び立ち、レイテ沖に集結する米艦隊に体当たりした。太平洋戦史に特筆される「特攻第1号」である。

 当時、中学3年で15歳だった私は海軍飛行予科練習生として三重海軍航空隊に入隊した。しかし、燃料不足で操縦かんを握る機会はなく、関大尉の後に続く特攻隊員への道は閉ざされたまま終戦を迎えた。平和な時代を迎えてからも関大尉と神風特攻隊はなぜか記憶に残る存在だった。それが、この国に来て、特攻機が飛び立ったマバラカット西飛行場を自分の目で見てから、10月25日が忘れられない1日に加わった。

 マバラカットに赴任早々、艦上爆撃機の操縦士で戦闘機には乗りなれない関大尉に上官は「零戦の編隊を指揮して米艦隊に体当たり攻撃を」と命じた。一晩たって承諾した大尉は従軍記者に冗談めかして、「ぼくは天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。命令とあれば止むを得ない。KA(家内)を護るために死ぬ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう」と語ったという。出撃した関大尉は敵空母1隻を撃沈して戦死。23歳。軍神とたたえられた。新婚3カ月。(注・城山三郎著『指揮官たちの特攻』など参照) (濱)

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