「自由、未来、歴史」現実は裏腹 比独立記念日
125年前の6月12日、フィリピンの革命家たちは、300年以上にわたる植民地支配を経て、スペインからの独立を宣言した。アンドレス・ボニファシオ率いる秘密結社カティプナンらにより、ついに革命が成就した。
しかし、その独立は長くは続かず、比は 1898年の米西戦争の戦利品となり、1946年7月4日にアメリカが比の独立を宣言するまで米国統治が続いた。 ディオスダド・マカパガル大統領は1962年、独立記念日を6月12日に戻し「自由と国家の尊厳の集大成」の日とした。
今年の独立記念日のテーマ「自由、未来、歴史」は、はたして時宜にかなっていたのか?
たとえば、航行の自由は、依然として願望で、いじめっ子の隣人が沿岸警備隊や補給船を脅し、レーザーや頑丈な船舶で漁師たちを漁場から駆逐しようと試みる。
飢餓からの解放は机上の空論で、生活必需品の価格が高騰し困窮する消費者の手には届かない。
マハルリカ投資基金(МIF)は、「包摂的で持続可能な経済成長」というバラ色の約束を果たすのだろうか、それとも大方の予想通り、少数の企業や政治家のための新たな乳牛となるのだろうか?
歴史に関しては? 戒厳令は黄金時代で、専制政治が正義であり、拷問、不法逮捕を正当化するという物語を若い世代に悪用するのをどうやって払拭できるか? 反テロ法が再び反対意見を抑圧するための便利な手段となっている今、私たちは歴史を繰り返す道を進んでいるに違いない。
「自由、未来、歴史」、テーマは立派だが現実は裏腹だ。お題目を唱えるだけの記念日は必要とはされない。(12日・インクワイアラー)