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4月15日のまにら新聞から

バタアンの悲劇を再訪 勇者の日

[ 634字|2018.4.15|社会 (society)|新聞論調 ]

 1942年4月、バタアン半島で3日から始まった日本軍の攻勢を受け、米軍のキング少将が率いた米、フィリピン連合軍合わせて7万8千人は9日、本間雅晴中将に降伏した。うち比人は約6万6千人だった。

 本間中将はバタアンでの日本軍による残虐行為の責任を問われ、比で銃殺刑に処された。46年4月3日、奇しくも日本軍がバタアンでの攻撃を開始した4年後だった。

 われわれは、4月9日の「勇者の日」に大統領と駐比日本、米国両大使をサマット山に迎え、記念式典を開く。そしてバタアン死の行進とオドネル収容所の悲劇を記憶する。

 それらと並び、42年4月11日に米軍とはぐれた比人兵士ら約400人が命を落としたことも忘れないようにしよう。米国の歴史作家、スタンレー・フォークの著作「バターン・死の行進」には、日本軍が比人捕虜を並ばせ首をはねていったことが描写されている。日本兵は強い日差しの下で約2時間、時おり汗を拭いながら「作業」を進めたという。しかし「勇者の日」では死の行進を中心として、この虐殺には言及されないのが常だ。

 2015年には国会議員が、「勇者の日」を4月9日から9月3日に変更する法案を提出した。この日は比が革命のためにカビテ州イムス市で戦った最初の日であり、1945年に山下奉文司令官が降伏した日でもあるからだという。歴史上最も輝かしい日を記憶しても、最も暗い日を忘れてはならない。「勇者の日」はわれわれの歴史を再訪する日なのだ。(9日・インクワイアラー)

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