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6月27日のまにら新聞から

後生に伝えよう 大噴火から四半世紀

[ 740字|2016.6.27|社会 (society)|新聞論調 ]

 1991年6月15日に起きたピナツボ火山の大噴火から四半世紀が過ぎた。1千人以上の命が奪われ、約200万人が避難生活に追い込まれ、社会経済に100億ペソの損害をもたらした。1912年にアラスカで起きた大噴火に次ぐ20世紀最大の規模だった。 

 中でもルソン地方パンパンガ州バコロル町は最も被害が甚大だった地域の一つで、火山灰が降り積もって無人地帯と化した。住民たちは元の居住区に戻ったとはいえ、ピナツボ火山へとつながる8本の川はいまだにボートで横断できない。 

 経済的な観点で言えば、ルソン地方中部の成長率は1988年の7・6%から91年には2・4%へと激減した。人的損失もまた甚大だった。たとえば少数民族のアエタは噴火後、先祖の土地を見つけることができず、10万人以上の農民が依然として再定住地での生活を余儀なくされている。

 政府はインフラ整備を含めた復興事業に320億ペソを支出した。被災者たちも辛抱強く頑張った。ピナツボ火口付近の湖を訪れる人々も増えて観光業も盛んになった。

 ルソン地方中部の成長率は2014年に9%に達し、アエタ民族の避難所として長らく使われていた小学校が17年に再開する見通しとなった。

 地元の大学が建設した博物館からも多くを学ぶことができる。ピネダ同州知事は「大噴火は人々の勇気、団結性、そして回復力を芽生えさせ、神に対する忠誠心を深めた」と語る。そしてこう続けた。「われわれの今の課題は、自然災害の現実やそれに打ち勝つ方法を次世代に伝えることにある」

 人は対応する術を学び、そして耐え忍ぶ。大噴火から四半世紀という節目を迎え、被災者の生活向上に尽力した人々の踏ん張りが今、ありありと浮かんでくる。(19日・インクワイアラー)

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