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9月29日のまにら新聞から

二度と繰り返すな 戒厳令42周年

[ 717字|2014.9.29|社会 (society)|新聞論調 ]

 42年前のきょう、フィリピンの国民は奇妙に静かな朝を迎えた。ラジオは静まり返り、新聞も届かない。部屋に鳴り響いた電話が、大統領が戒厳令を発布したことを知らせた。宣言はその2日前、21日に発出されていた。

 それがフィリピンの暗黒時代の始まりだった。議会は停止され、マルコス大統領が立法権限を持つと定めた大統領令が出た。

 憲法で定められた人権は無視され、政権批判を展開するオピニオンリーダーだったジャーナリストたちは皆集められ、監禁された。後に国際人権団体、アムネスティ・インターナショナルによって、一緒に監禁された活動家たちは拷問を受けていたことが明らかにされた。麻薬密売の嫌疑をかけられた中国人ビジネスマンたちは、国軍によって銃殺刑に処された。

 人々は容易に逮捕され、正しい選挙はなされなかった。1973年に新たに制定された憲法は、マルコス大統領が政治を有利に運べるように再編成したバランガイ(最小行政区)の議会で承認された。それから14年後にピープルパワーが起きて特別選挙が実施されるまで、政府閣僚はずっと同じ顔ぶれだった。

 83年8月21日、反マルコス派のベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺され、国民の怒りは頂点に達した。葬儀では自宅のある首都圏ケソン市から首都圏パラニャーケ市の墓地まで200万人が同道し、戒厳令への抵抗を示した。

 72年から、ピープルパワーによって独裁体制が終了する86年の間を、生きてきた人々は皆思いだす。戒厳令の時期は暗黒の時代だったと。だから、今後再び戒厳令が敷かれたり、当時の状況に戻るような兆候があれば、激しい抵抗を受けるだろう。二度と繰り返してはならない。(23日・ブレティン)

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