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9月16日のまにら新聞から

ミスアリ最後の叫び

[ 740字|2013.9.16|社会 (society)|新聞論調 ]

市街地占拠事件

 モロ民族解放戦線(MNLF)ヌル・ミスアリ初代議長派のサンボアンガ市街地占拠は、引き際を失った存在に注目を集める方法としては、許しがたい。しかし、市内を闊歩(かっぽ)し、市役所に旗を掲げようとした計画は、かつて己が人生をかけた交渉で、傍観者として脇役に追いやられることを拒否した男の必死の叫びだ。

 先月、老いたヌル・ミスアリをテレビで見て、1972年9月を思い出した。古い友人、同僚であるヌルは私を比大に訪ねてきた。彼は1968年のモロ(イスラム教徒)虐殺事件を機に比大教員を辞職した。マルコスは、サバ侵略計画の痕跡を消すため、コレヒドール島にいたモロ新兵28人を殺害した。ヌルはMNLFを結成し、独立運動に全力を尽くした。カトリック系政治家や伐採業者と結んだ私兵団がミンダナオ地方で、モロと戦闘を繰り返していた頃だ。

 72年のあの日、彼は独裁政権に対し共産党と新人民軍(NPA)が反撃するか、意見を求めてきた。NPAとの共闘を考えていたのかもしれないが、MNLFは、バンサモロ独立にあいまいな立場の毛沢東主義革命とは距離を置いた。彼は、イスラムの教義がモロのアイデンティティーの大部分を占めることは分かっていた。しかし自身もイスラム教徒ではあっても、決して「イスラム主義者」ではなかった。私はこの点から、もしモロの人々を独立に向かって率い、現代化への変革を進められる人物がいるなら、それはヌルでなければならないと考えていた。

 彼の試みは失敗した。それでも、自立を追い求めてきたバンサモロの歴史に彼が果たした重要な役割は誰も否定できない。今度は他の指導者たちに、モロの人々の自由と尊厳につながる糸を引かせる番だろう。(12日・インクワイアラー、ランディ・ダビッド氏)

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