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4月13日のまにら新聞から

フィリピンの十字架

[ 719字|2009.4.13|社会 (society)|新聞論調 ]

聖週間の受難に思う

 イエス・キリストの受難を追想する聖週間においてイエスが十字架に架けられる瞬間が一番のクライマックスとなる。イエスは自身がくぎを打たれる舞台となるゴルゴダの丘に十字架を担いで行き、そこではりつけとなって死ぬ。このイエスの受難は肉体的、精神的な災難として解釈されているが、フィリピン国民は現在、自身に降りかかる受難を経験している。しかもその十字架は一つではない。

 まず貧困の十字架がある。資源や人材に恵まれた国にもかかわらず、指導者の利己主義と能力のなさで貧困へ押しやられる。

 次いで不正義と不平等の十字架。フィリピンでは金持ちと影響力のある人間に正義が付いてくる。富のある者が法律でも擁護されているからだ。全世帯収入の三六%が金持ち上位一〇%の世帯によって独占されている。

 三つ目に汚職の十字架だ。世界銀行によると、この国では毎年二千三百五十億ペソの公金が汚職で消えている。この金額が経済的、社会的開発事業に投資されれば貧困層の嘆きは軽減されることになる。

 四つ目には不適切な教育システムの十字架だ。教育が貧困の解消に最も貢献するはずなのに十分な予算が振り向けられていない。質の高い教育は金持ちの姉弟が通う私学でしか実施されていない。貧困層は間違いだらけの教科書と十分な訓練を受けていない教師がいる公立学校に行くだけだ。

 選挙制度の機能不全が五つ目。政党政治は確立しておらず、不正選挙や買票が横行している。政策ではなく知名度だけで選ばれる政治家が多い。

 最後に紛争と反体制運動の十字架だ。共産党やイスラム急進派などの武装集団が各地で活動し真の和平は遠い。紛争地のままで開発、発展は難しい。(7日・インクワイアラー)

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