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6月14日のまにら新聞から

米の利益、比の損失

[ 701字|2004.6.14|社会 (society)|新聞論調 ]

レーガン大統領死去

 レーガン元米大統領とフィリピンとのかかわりは比文化センターの落成式典を発端とし、その後マルコス大統領との蜜月時代が始まった。二人の関係はそれまでの比人の米国への「思い」を一層強固なものとした。

 二人は第二次世界大戦を戦った同世代人で、戦友として心情的に結ばれていた。二人は自信に満ち、両国民はパートナーたることに誇りを感じていた。

 しかしレーガンは米国の世界戦略を押し付けるようになる。必要だったのは「マニラの忠実な下僕」だ。比が共産主義の防波堤になる一方で国内の共産主義勢力は強大化した。レーガンが声明や公式訪問でマルコスを尊重するほど、比人の米国に対する尊敬は薄れた。社会矛盾を解決しようと勇敢に挑んだ比人がマルコスの暴政で死んでいった。こんな中、レーガンが一九八六年の大統領選挙で「双方に選挙不正があった」と述べ、マルコスと反対勢力の統一政権を作ろうとしたことも忘れてはならない。

 レーガンは病気を理由に公の場から遠ざかり、そのイメージと遺産は傷つかずに残った。今も昔も愛される米大統領だ。しかしわれわれは彼を許せない。第二次大戦で培われた両国の信頼を損ねたのはマルコス戒厳令だ。レーガンはこれを容認した。比は混乱に陥り現在も傷つき続けている。

 巨額の富が略奪され、幾千もの国民が死傷し、理想は地に落ちた。現在の混乱した比の民主主義はこれらすべてに起因している。レーガンはこれらの問題に目をつむったまま死去した。混乱はこれからも続く。彼が「米国にとって偉大な人物」であるのを知るにつけ、米国の理想と我々の理想とがどれほどかけ離れているかを知るべきだ。 (9日・インクワイアラー)

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