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8月25日のまにら新聞から

遺志は反乱兵の胸に

[ 678字|2003.8.25|社会 (society)|新聞論調 ]

アキノ暗殺20周年

 暗殺されたアキノ元上院議員は、マルコス政権下に戒厳令で奪われた自由の回復・達成だけを政治目標にしていたわけではない。独裁政治の打破だけでは問題は解決せず、社会を覆う貧困が根絶されない限り民主主義は実現できないと考えていた。

 政治犯として収監されていた時に獄中から送った「遺書」には、「資本主義体制による富の分配の不公平が貧困を生み、人間を疎外している。この体制を変革せねばならない」と記した。彼は自由放任主義を敵視し、社会主義的手法も取り入れ国家によるある程度の経済への規制を理想視した。

 アキノ暗殺の黒幕は誰か︱︱この問いが投げかけられるたび、マルコス元大統領の名前が挙がる。だが、ポスト・マルコスの最右翼と目されていたアキノは、その思想から国際機関など資本主義擁護勢力に疎まれていた。グローバリゼーションを推進する「その勢力」はマルコスさえ操ってきたほど強大だ。アキノの支持者は国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの背後にあるものに思いを巡らすべきである。

 一方、七月末起きた国軍反乱事件のリーダー格、マエストレカンポ陸軍大尉は上院聴聞会で「金持ちばかりが優遇される比社会は死にかかっている」と主張した。この言葉にアキノを思い浮かべる向きもあるだろう。

 アキノが無事に帰国していたら、国の貧困根絶のために独裁者として手腕を振るったに違いない。戦いを通じてしか理想の社会に変革できないと思い詰めた国軍将兵たちは、軍事政権下で近代化と豊かさを実現したエジプト、韓国などの国々を思い描いていたはずだ。(20日・トゥデー、アレハンドロ・リチャウコ氏)

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