喚問手法に疑問
国軍将兵反乱事件
今年三月、若手国軍将校二人に軍の腐敗について話を聞く機会があった。彼らの誠実さを疑う余地はなかったが、念のために証拠を要求すると承諾した。しかし二度と連絡はこなかった。一人は反乱軍を率いたトリリャネス海軍大尉だった。
民主主義者として、軍法には賛成できない。けれども、いくら愛国心にあふれ優秀だとしても軍人ならば規律を守る義務があると思う。ただし、社会にまん延する冷笑的な姿勢や悪弊を正そうと決起した将兵たちに共感を覚えるのも事実だ。
反乱事件について、大統領府の独立調査委員会などによる真相究明が始まったが、概してマスコミによる見せ物的要素が強い上、調査自体の腐敗が避けられないことが多いのも問題である。
政府は反乱将兵の名誉を傷つけようと躍起である。特に、「無私の理想に燃えた軍人」という彼らに対する国民の印象を崩すためプロパガンダしているのに、将兵側は調査委員会や上院での喚問に生真面目に応じているだけ。自らの主張を証明しようとする努力に欠けたのが残念だ。政府の手法は自分の息子が薬物中毒になるように追い込んで、後で息子を非難するのと何ら変わりない。
調査委は、将校たちの知的水準やコミュニケーション力を試すかのように、英語とフィリピノ語を何の脈絡もなく織り交ぜて、わかりにくい質問の仕方をした。
さらに気になったのは、調査委が将校に対し英語のみを使うように要求したことだ。なぜ自国民の前で英語を話さねばならないのか。フィリピン人が自分の感情を説明するのに、母国語以外を使わねばならないのか。(17日・インクワイアラー、ランディ・デービッド氏)