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5月7日のまにら新聞から

貧民を無視した結果

[ 685字|2001.5.7|社会 (society)|新聞論調 ]

宮殿前の反乱劇

 マラカニアン宮殿での武力衝突が起きた五月一日は歴史上、最も悲しい日として国民の記憶に残るだろう。数万人の民衆が治安部隊に排除され、現在の死傷者の数は死者六人、負傷者七十二人に上っている。

 アロヨ大統領は暴動を扇動した政治家たちを責め立てた。だが、重要なのは、なぜ貧困層の群衆が宮殿に向かったかを認識することだ。エストラダ前大統領の支持者は、彼らをこれまで無視し続けてきた社会に対して戦いを挑んだ。

 「パラ・サ・マヒラップ(貧者のために)」という公約を掲げたエラップ(前大統領の愛称)の大統領選での当選は大衆の勝利を意味した。そして、貧民たちは社会に初めて認知された。

 だが、それも長くは続かなかった。エラップはカトリック教会、富裕層、メディアが結集した力により権力の座を追われ、エラップに票を投じた貧民たちの存在はまた否定された。今回の「エドサ3」はエラップを追放した力に対抗し、もう一度社会での居場所を取り戻す戦いだった。

 ところが、皮肉にも結果は悲惨だった。富裕層はエラップ支持者を「臭い」などと毛嫌い、メディアも一部を除いては彼らの抗議集会を完全黙殺。大手テレビ局二社は「デモ隊に襲われた」ことを言い訳に取材を拒否し、参加者の人数も実数よりもかなり少なく見積もって発表した。

 反エラップが基本姿勢のシン枢機卿率いるカトリック教会も同様に彼らの抗議行動を軽視した。

 しかし、最後に貧民たちの怒りは爆発した。国全体がそのドラマチックな宮殿前での反乱を注視した。たった一日だけだが、貧民たちはスポットライトを浴びた。これ以上、彼らの声を無視してはいけない。

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