ジプニーの「功罪」
草分けサラオ社の倒産
フィリピンの代名詞、ジプニーを発明したサラオ・モータースが倒産した。
サラオ社とジプニーは太平洋戦争後の復興とともに生まれた。過去数十年間、ラスピニャス市の工場で国民の交通需要を満たすため、ジプニーを作り続けてきた。
製造方法は今も昔も変わらない。中古エンジンに、国内製のシャーシや部品、ボルトとねじさえあればいい。
どこでも手に入る安価なエンジンや部品、単純な製造方法がライバル社を全国各地に誕生させ、結局、サラオ社を廃業に追い込んだ。
一方、現代社会ではマニラ首都圏などで都市化が進み、渋滞は深刻化。排気ガスをまき散らし、スピードが遅いジプニーは、もはや経済開発の重荷になりつつある。
ジプニーは戦中に米国が残した車体部品を使い、確かにこれまでわが国の発展を導いてきた。もし、現代社会において高度な技術をジプニー製造に用いることができれば、より高性能で環境にやさしいフィリピン独自の交通手段を生み出せたかもしれない。
しかし、都市部での交通対策は緊急課題だ。軽量高架鉄道(LRT)は駅施設の拡張などが必要だが、首都圏鉄道(MRT)は安い運賃で評価は上々だ。
サラオ社の倒産は悲しい事だ。だが、徒歩に頼りがちな地方にはジプニーの需要はまだある。本当の意味でこの国が経済成長を遂げた時、安全で迅速な新たな交通手段に道を譲ればいい。