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4月18日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 696字|2011.4.18|社会 (society)|ハロハロ ]

 東日本大震災から1カ月余。この間、比人達からたびたび日本にいる親族の安否を聞かれた。「実家は被災地から遠く離れていますから」と応えてはいたものの、ひとつだけ気掛かりなことがあった。仙台市郊外の海辺に暮らす友人の消息が分からずじまいだったからだ。東北電力に勤めていたこの友人とは、かつて2年余ニューヨーク暮らしを共にした。東北人らしく能弁ではないが、酒がめっぽう強く、酔うほどに頑固になった。

 原発問題になると、意見は異なったが、ひとつだけ教わったことがあった。東京電力がなぜ東北電力配電下の福島に原発を持っているのか、と聞いた時のことである。友人は直ちに東京電力のカリスマ経営者だった木川田一隆の名を挙げた。木川田は福島県伊達郡の出身で、東電の社長時代に原発の立地場所に窮した彼は、自らの出身地に白羽の矢を立て、政財界の広い人脈を使って戸惑う東北電を押し切ったという。木川田が代表幹事をつとめた当時の経済同友会は「財界参謀本部」と呼ばれ、その政治力は海外にも名をはせた。一方で、学生時代から河合栄治郎の理想主義的な自由主義に傾倒していた異色の経営者でもあった。不思議なことに、その木川田の評価では友人と一致した。

 原発事故の国際評価がレベル7に引き上げられたのを受け、日本国内の原発談義も第2フェーズに入ったように見える。メール仲間のサイトでは、今回の原発災害が「人災が否か」が焦点となり、つかみあうばかりのやりとりが続いている。歴史に「もしも」はないが、木川田が健在だったら今回の事態にどう応えただろうか。友人が生きていれば仙台を訪ねて、もう一度、話してみたい。(邦)

ハロハロ