ハロハロ
「私たち『昭和一ケタ世代』の老人は……」。このように書き出された今月13日掲載の「新移民残日録」で、セブ在住の岡昭さんは「小学校唱歌の一節を今も覚えている」と、児島高徳の有名な詩「天、句践(こうせん)を空しゅうする莫れ、時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず」を紹介されている。私はまるで旧友に再会したような思いでこの一文に接した。
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私には忘れられない「天、句践」が二つある。最初は太平洋戦争が始まった1942年、小学校6年生の学芸会で児島高徳役を演じ、どれも洋画家の父がボール紙で作ってくれた烏帽子(えぼし)、よろい姿でステージに立ち、桜の幹に「天、句践」と書いた。それまで一度も宿題などに手出し、口出しをしなかった父だったので驚きだった。多分、母が頼んでくれたのだと思う。2度目は共同通信社会部のデスク時代。戦後、グアム島の密林に潜んでいた横井庄一さんが27年ぶりに帰国した72年2月2日だった。
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羽田で祖国の土を踏んだ横井さんは都心に入ると皇居前で車を降りた。まず天皇に帰国報告の遥拝を済ませると、「天、句践を空しゅうする莫れ……」と口にした。羽田から同行取材をしていた記者はその模様を原稿にし、電話で社会部に送ってきた。だが、詩に使われているのは新聞用語とかけ離れた難解な漢字ばかり。受け手の記者が手にした原稿用紙の升目がなかなか埋まらない。原稿を記事に仕上げるのが役目の私はそっと席を立ち、調査部で原文を確かめたのを覚えている。(濱)