ハロハロ
1966年、バンコクで開催されたアジア大会を取材しての帰途、香港へ立ち寄った。初の外国訪問だったので、自由港・香港で土産物を買おうと思ったのだ。翌朝、ホテル近くの食堂へ入ったら、韓国チームのジャンパーを着た中年の男が居た。エーシアン・ゲームの帰りか、と声をかけたら韓国ボクシングのコーチと名乗り、「旅は道連れ」で一緒に名物の粥(かゆ)を食べた。
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日本語の達者な人で2年前に開かれたばかりのオリンピック東京大会を絶賛した。秩序正しい大会運営や華麗な開閉会式を挙げた。その上、「土産がたくさんあった。トランジスタ・ラジオまでもらった」。さまざまな国際大会に参加したが、東京ほど豊富な土産は例がなかったという。そういえばバンコクのお土産は大会に使われた行進曲のEP盤一枚。後にモントリオール五輪も取材したが、ここではバーボンウイスキー1本だった。
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土産はさておき、東京の成功がその後の五輪大会のモデルになったのは間違いない。日本も五輪開催が国家的求心力を強め、前後して東海道新幹線が始動、経済発展にも弾みがついた。今回の東京落選はその意味で、返す返すも残念だ。話を元に戻すと、食事後、韓国人コーチは「ダンスホールに行こう」と誘う。まだ午前9時だ。ホールではダンサーを交渉次第で連れ出せるとか。ためらう私に「旅の恥はかき捨てヨ」と言い残して立ち去った。(紀)