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8月10日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 635字|2009.8.10|社会 (society)|ハロハロ ]

 8月になって雨風の強い日が多い。深夜、屋根にたたきつける雨音で起こされて目がさえると、頭に浮かぶ情景がある。太平洋戦争末期、米軍に追われ、ルソン島北部山岳地帯を敗走する陸軍部隊と行動を共にした主婦や子供たち2千人の姿だ。企業のマニラ駐在員だった夫らを現地召集で軍隊にとられて残された家族。昼間は米軍機の標的になるのを避けて森に潜み、夜、雨が降り続く暗闇をあてどもなく歩いたという。この逃避行で命を落とした人も少なくない。

 太平洋戦争最大の激戦地、フィリピンで死亡した日本人は軍人、非戦闘員合わせて約52万人。終戦の年、1945年2月に始まったマニラ市街戦では、乗艦を失った海軍部隊1万7千人と鉄砲の撃ち方も知らない在留邦人の召集兵が主体の陸軍部隊4300人が米軍に応戦、半数が戦死した。この市街戦で亡くなったマニラ市民10万人を含めて、この国の犠牲者は100万人を超すと推定されている。

 今年の終戦記念日は5日後に迫った。「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川、夢は今も巡りて、忘れ難き故郷」。大使館主催の戦没者慰霊祭が執り行われるラグナ州カリラヤの丘に、今年も女性コーラス「ラ・メール」の歌声が流れると聞く。この曲は、再びふるさとの土を踏むことがかなえず異国で散った同胞への鎮魂歌に思えてならない。戦後すでに64年。たとえ自分の過去に太平洋戦争はなくても、フィリピンを生活の場にする在留邦人は、この地を戦場にした日本の行為を忘れずにいたい。 (濱)

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