ハロハロ
先日、マニラに戻るPAL機が成田空港の搭乗口を離れる間際のことだった。出発の予定時刻がきたのに、前部のドアだけは閉じられる気配がない。ふと目を上げると、二十代のフィリピン人女性が三人、いずれも両手に荷物を抱えて通路に現れた。「遅れているのはこれだな」と思った直後、また、若いフィリピン人女性が二人。遅れまいと息を弾ませ駆け出してきた様子は誰にも見えない。
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「ほぼ半世紀近く、生活の中に西欧の時計が入り込んでいるにもかかわらず、特別な儀式、行事は別にして、われわれフィリピン人は時間を何時、何分ではなく、自分の感覚で計っている」︱︱。「フィリピン人が特異なのはなぜか」と題する一文の中で、随筆、音楽活動など、文化面でも多才で知られるエド・ラピス牧師は「フィリピン人は時間に影響されない」という項目を、こんな書き出しで始めている。
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「自分の感覚で時間を計るという考え方がわれわれの心に深くしみ込んでいる」と説く同牧師は「われわれの時間には広がりがあり、枠にはめられない。時間は午前、真昼、午後と夜で決める。もっとも確かな時間の基準になるのは恐らく真昼で、前後にたっぷり余裕がある。会合などの時間は決められているものの、実際には明白な時刻はない」︱︱。そう言えば、拙宅で白アリ発生の有無を調べる業者は毎月、検査の時間を昼食の前か後かで知らせてくる。が、そんな風習を、こちらが黙って受け入れているから不思議だ。
(濱)