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1月3日のまにら新聞から

新年連載「コネクタード:日比を繋ぐ人」① 東海地方で活躍する在日比人と彼らを支援する日本人を紹介。運転免許試験の学科を教える学校を経営する永田マリさん

[ 2609字|2025.1.3|社会 (society) ]
まにら新聞のインタビューに答える永田マリさん(上)と運転免許取得に向け勉強する比人ら(下)=いずれも11月4日午後に澤田公伸撮影

 2024年6月現在、日本に中長期で滞在するフィリピン人は33万人を超え、中国人、韓国人、ベトナム人に次いで4番目に多い。かつては日本人との結婚を通じた結婚移住の形態が多かったが、最近では日系人の親族としてや技能実習生・特定技能などの労働者として日本に住むフィリピン人が急激に増えている。都道府県別で在日フィリピン人の人口比が最も高い都道府県は岐阜県で、次いで愛知県、静岡県と続く。この東海地方の3県に住む在日フィリピン人の現状と彼らの定住を「仲介者」(タガログ語で『コネクタード:接着させたり繋ぐ人』)として支援するフィリピン人や日本人たちの活動を5回にわたる連載で紹介する。

 ▽予備校のように真剣に学ぶ

 東海道新幹線の浜松駅にすぐ近い雑居ビルの2階に上がり、小さなドアを開くと約20人のフィリピン人が机に向かって真剣に勉強している姿が目に入った。壁には大勢の比人やその他の外国人の免許用写真が貼り付けられている。一瞬、どこかの大学予備校の教室に紛れ込んだような錯覚がした。ここが日本で運転免許の取得を目指す外国人向けの学科補習校「AT―1ユニバーサル・ドライビング・アカデミー」だ。

 勉強していたエルナル・スズキさん(46)は東ダバオ州マティ町の出身で自衛官の日本人男性と結婚して2000年に来日し、今は静岡県浜松市三方原町に住んでいる。比の運転免許証を持っていたが日本で切り替え手続きを行なった時に必要書類が集められず、切り替えが出来なかった。しかし、自転車で買い物に行くのも大変で、磐田市に住む義理の母親が通院するためにもエルナルさんが自動車免許を取得するよう家族から要請されたため、日本で一から運転免許を取得することにしたという。

 エルナルさんは「教習所での運転は問題ないけれど、特に学科試験がね。『危険』や『落石注意』などの日本語の標識が難しい。義理のお母さんも応援してくれているので何とか次の仮免学科試験で合格したい」と話していた。

 ニコールシェイン・アンティカマラさん(19)は熱海市から義理の叔父の車で週末ごとに浜松まで送ってもらい勉強している。ダバオ市出身のニコールさんは母親が日本人男性と結婚したのを機に来日し、千葉県で日本の中学を卒業。その後、熱海市にあるクリーニング店で働いて4年目になる。

 日本で運転免許を取得したい理由を尋ねると「パン屋さんに転職するために免許があった方がいいから」と答えてくれた。今は仮免許の学科試験を勉強中だが、「免許取得後にはオフロード車に乗ってみたい」と教えてくれた。

 ▽次世代にも免許取得を

 日系人の妻と一緒に2009年に愛知県豊川市に移り住んだバル・ウニドさん(39)はミンダナオ北部オサミス市の出身。日本では横浜ゴムの工場で働いた後、現在はバームクーヘンを作る菓子工場で働いている。

 妻も製造工場で働いており、17、5、3歳の子どもを抱えた生活では家族の送り迎えや買い物などで車がどうしても必要だ。バルさんは2015年に一度日本で免許を取得しているが、その後の免許更新の通知が転居先に届かず、更新期限を過ぎてしまい失効したという。

 AT―1を経営する永田マリさんと免許センターで知り合ったというバルさんは「家族のためにも免許が欲しい。高校生になる息子にも卒業したら免許を取ってもらいたい」と話している。

 学科の指導をしていた職員のアルベルト・サムソンさん(56)は首都圏パサイ市の出身で、昔はジプニー(小型の乗り合いバス)の呼び込みをしていたという。2000年に日系人の妻の呼びかけで来日し、日本の免許を取得した際に永田さんと知り合い、学校で教員として働くようになった。

 サムソンさんは「日本で免許を取得するには忍耐が大切。今では7人の孫を持つが、近い将来、大型免許を取得して比人で日本の大型トラックに乗りたいという若者を支援したい」と抱負を語った。

 ▽プライドと努力で夢実現を

 永田マリさん(48)はマカティ市出身で日本に住んで20年目。中古車販売をしていた日本人男性と結婚して浜松市に移り住んだが夫からすぐに車の免許を取るように言われた。出産したばかりだったが免許取得に挑戦。学科試験は仮免、本免とも1発で合格したが、免許センターの実技試験で8回落ちた。試験官から「オートマティックなら合格できる腕前なんだけどなあ」と言われ夫に伝えたところ、「マニュアルでないとダメ」と取り合ってくれなかったという。

 趣味でレースをやっていた夫がマニュアルクラッチの運転免許取得を望み苦労したマリさんだったが、教習所で子どもに母乳を与えながら免許センターに何度も通い、9回目でようやく合格した。

 学科試験の際、一緒に受験した比人たちが落ちる中、マリさんだけが合格した。すると近くにいた比人らに一斉に「学科が受かるよう教えてくれないか」と頼まれたという。それがきっかけとなり、マリさんは比人らに免許取得用の学科試験対策を教えることになり、そのうち浜松市にある上池自動車教習所で外国人に学科を教える職員として採用された。

 その後、この自動車教習所と提携する形で2014年5月に自分の学校を立ち上げて独立。その後シングルマザーとなったマリさんは、一時はファストフードのマネジャーや夜の仕事も掛け持ちしながら子どもを育てるなど苦労したが、今では毎月40~60人のフィリピン人を中心とする外国人に学科試験合格に必要な日本の交通規則などをスタッフと手分けしてマンツーマン方式で教える。

 現在、AT―1は浜松市や岡崎市など4カ所で学校を経営し、18人のスタッフを抱える。北は北海道から南は沖縄まで全国に住む比人が集まる中、浜松市内のホテルなどに泊まり込みし集中的に勉強するケースもあるという。特にコロナ禍の2020~21年には仕事を解雇された比人らが押し寄せ、1カ月に600人以上の履修生がいたこともあったという。

 マリさんは「日本で生活するのは大変だと知っている。だから出来るだけ多くの比人が仕事に就けるよう手助けしたい。あと比人としてのプライドを持って日本で頑張ってほしい。頑張れば夢はかなう」と言いながら、学科問題について質問する生徒たちを外が暗くなるまで熱心に教えていた。(澤田公伸、つづく)

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