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11月29日のまにら新聞から

「比日関係に消えない貢献」 ラウレル前駐日大使死去

[ 1052字|2024.11.29|社会 (society) ]

旭日大綬章受章者のラウレル5世氏が死去。比日両国大使館も声明で故人をいたむ

ホセ・ラウレル5世前駐日大使=在日フィリピン大使館公式SNSより

 在日本フィリピン大使館は28日、ホセ・ラウレル5世前駐日大使が27日に逝去したと発表した。享年80。ラウレル氏はドゥテルテ前政権下の2017年6月~22年6月まで駐日大使を務めた。22年9月にはその多年の功績に対し、日本政府から旭日章で最上等級の旭日大綬章が授与されている。

 在日フィリピン大使館は声明で、「ラウレル前大使のリーダーシップとたゆみない取り組みは、彼と共に働く機会を得られた全ての人に深い影響を残した」と述べ、比日協会は「われわれは比日友好の支柱の一つを失った。しかし、彼の功績は間違いなく将来にわたって響き続ける」とたたえた。在比日本国大使館は「父祖と同様に比日関係に尽力したラウレル氏の消えない貢献が、その逝去を真に悲しむべき喪失にしている」と故人をいたんだ。

 ラウレル前大使の祖父は、第2次世界大戦時の日本軍政下に樹立された第2共和国の故ラウレル第3代大統領で、父は旧陸軍士官学校を卒業し1966年から1971年にかけて駐日大使を務めたラウレル3世。第二次世界大戦中の1944年9月に生まれたラウレル5世・前大使は、幼少期を亡命先の日本で過ごし、終戦時は家族とともに奈良で暮らしていた。

 帰国したラウレル氏は、デラサール大で社会学、経営学の学士、同大大学院で経営学修士号(MBA)を取得。駐日大使のほか、バタンガス州知事、カラバルソン地方開発委員長、比赤十字会長、マカティ証券取引委員、シリマン大学准教授、YKKフィリピン会長など、官民学の幅広い分野で活躍した。

 駐日大使時代には、2017~22年の5カ年で官民1兆円経済協力を推し進め、その中で、日本の首都圏地下鉄、南北通勤線延伸、パシッグ・マリキナ河川改修事業など大型の政府開発援助(ODA)プロジェクトの契約に至り、目標額を上回る経済協力の実現に貢献した。

 また、在任中、防衛・安全保障協力も加速。18年の陸自ヘリコプターの部品の移転合意、20年の防衛装備移転三原則閣議決定後初の国産防衛装備完成品の海外移転である警戒管制レーダーの移転契約、19年の自衛隊最大護衛艦「いずも」のスービック寄港など防衛・安全保障協力が推し進められ、22年4月に初めて開かれた比日外務防衛閣僚会合(2プラス2)では、訪問部隊の法的地位を定める円滑化協定(RAA)の検討が開始された。

 葬儀は首都圏タギッグ市ヘリテージパークで開かれる予定。日本での追悼記帳は12月5~6日にかけ在日本フィリピン大使館で行われる。(竹下友章)

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