比での体験から生まれた歌 「幸せなら手をたたこう誕生物語」 木村利人さん、西岡由香さんトークイベント
「幸せなら手をたたこう」作詞者の木村利人さんと誕生秘話を漫画にした西岡由香さんのトークイベント配信
坂本九さんが歌って日本で1960年代に大ヒットした歌「幸せなら手をたたこう」は誰もが一度は聞いたことがある有名な歌だろう。しかし、この歌が、当時反日感情がまだ激しかったフィリピンで1959年にボランティア活動に従事した日本人青年が現地での経験を基に作詞したことがきっかけで生まれたことはあまり知られていないのではないだろうか。この歌を作詞した木村利人さんと今年1月に歌の誕生にまつわる秘話を漫画にして出版した西岡由香さんのトークイベントが17日、オンライン会議アプリを通じてライブ公開された。
主催は2022年に結成された市民有志らによる「歴史・平和教育を通してフィリピンと広島をつなぐプロジェクト」(略称フェザペップ、沖本直子代表)。同団体はこれまでに、マニラ市街戦などに関する講演会を開いている。
トークイベントではまず、生命倫理学のパイオニアとして知られる早稲田大学名誉教授の木村利人さんが登壇。1934年生まれで今年90歳になる木村さんがパワーポイントを使って、戦前・戦中の日本の軍国主義による影響を受けた自分自身がいかに「軍国少年」だったかを紹介した。その上で、戦後すぐの中学2年生で新憲法を学習した際に、「新しい憲法のはなし」という文部省の教科書で憲法九条の「戦争放棄」の原則を学んだ時、いかに衝撃を受けたか、当時の教科書の表紙や実際のページなどの画像を紹介して説明した。
木村さんは25歳の大学院生だった1959年4月にフィリピン・ルソン島のダグパン市でキリスト教青年会(YMCA)と比農村復興運動(PRRM)が組織したワークキャンプに参加。そこでトイレやバスケットボールコートなどを建設するプログラムに参加し、比人の青年たちと一緒に汗を流したこと、またマニラのイントラムロスを訪問した際には日本軍憲兵隊本部跡で殺された比人市民たちの慰霊碑も訪れるなどして戦時中の日本軍による加害の事実に直面しショックを受けたことなどを当時の写真を見せながら紹介した。
その中で、一緒にワークキャンプで働いていた比人青年が実は父親を日本軍に殺されていて復讐の機会を探っていたものの、木村さんたちとの交流を経て、ある日、木村さんに「(父親の死を)忘れることはできないけれど、赦す(ゆるす)ことはできる。僕たちは友達なんだ」と告げられたことが「人生の出発点になった」と追想した。木村さんは2か月ほどのワークキャンプを終えて日本に帰る船の中でキャンプ中に小学校の児童たちが歌っていた童謡歌のリズムが忘れられず、慣れ親しんだ旧約聖書と新約聖書の一節にある「すべての国々の民よ、手をたたけ」や「態度で示しなさい」という文句の一部を織り込んだ歌詞を作り上げ、あの「幸せなら手をたたこう」という歌が誕生した経緯にも触れた。
▽漫画化で若い世代に伝える
次いで登壇した長崎で生まれ育った漫画家の西岡由香さんは、日本の非政府組織が運行する「ピースボート」に乗船したことが、長崎の被爆者をテーマにした漫画に取り組むきっかけになったことを紹介。このピースボートにやはり乗船していた国際ジャーナリストの伊藤千尋さんの著作を通じて、木村さんと「幸せなら手をたたこう」の由来を知り、漫画にすることを決意。木村さんの経験に加えて、若い世代に過去の戦争を巡る歴史を知ることの大切さや平和憲法の意義、和解と交流の輪を自分で広げることの大切さを伝えようとする木村さんの姿勢を漫画の中に込めたことなどを語った。西岡さんは「世界で戦火が広がる時代だからこそ、(愛と平和のメッセージを態度で示すことを促す)この歌が必要とされているのではないでしょうか」と呼びかけた。
西岡さんが上梓し、今年1月に初版が出された漫画「幸せなら手をたたこう誕生物語」(いのちのことば社出版)は4月までにすでに第3版まで重ね、英語版も出版されるなど多くの読者に受け入れられている。
最後にコメンテーターとして登壇した静岡県立大学の米野みちよ教授(人類学・民族音楽学専門)は、23年にわたり大学院生や研究員としてフィリピンで暮らした経験を持ち、戦争で被害を受けた比人高齢者からその体験を聞いたことなどを話した。木村さんが聞いたと思われるフィリピンの童謡歌の歌詞ではまず最初に「幸せなら笑おうよ」で始まることを紹介。皆が一緒に「笑うこと」も人々の交流で重要な要素になるのではないかと問いかけた。
当日のトークイベントはユーチューブで視聴することができる。アドレスは、https://youtu.be/XtWlsSpjwM0。(澤田公伸)