「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
29度-23度
両替レート
1万円=P3,730
$100=P5855

2月29日のまにら新聞から

「言語学習は楽しみの一つ」 「にほんごフィエスタ2024」開催

[ 2539字|2024.2.29|社会 (society) ]

マンダルーヨン市のシャングリラ・プラザで国際交流基金マニラ日本文化センター主催の「にほんごフィエスタ2024」開催

(上)第51回スピーチコンテストの参加者や関係者ら。(下)優勝者のジェイコブノエル・フエンテベリャさん=24日午後、首都圏マンダルーヨン市のシャングリラ・プラザで岡田薫撮影

 首都圏マンダルーヨン市のシャングリラ・プラザで24日、国際交流基金マニラ日本文化センター(JFM)主催の「にほんごフィエスタ2024」が開催された。前半では同プラザ上階の映画館を会場に、学生や社会人からなる参加者9人による第51回日本語スピーチコンテストが行われ、後半は2階のグランド・アトリウムに場所を移し、スピーチ結果の発表や琉球舞踊が披露された。

 日本国大使館の花田貴裕公使兼総領事は、開会の辞で最終選考に残った9人に向け、「おめでとう。みなさんは全国からの参加者の中でも、最も日本語が上手な人たちだ」とたたえた。「フィリピンにおける日本語学習意欲のさらなる高まりを感じている。日本政府として、フィリピンの日本語学習環境への支援を引き続き行っていく」とも述べた。

 9人によるスピーチ本選前には、過去の優勝者を含むゲストスピーカー2人、比人日本語講師2人によるスピーチも披露された。デラサール大の国際学部で日本語を教えながら、フィリピン大の博士課程で学ぶ久留須健一郎さんは、比の正装「バロンタガログ」を着用し、自身のタガログ語学習経験について、流暢なタガログ語でスピーチを行った。会場の比人からは「上手」との驚きの声が聞かれた。

 ダバオ在住の日系人の参加者もいた中、最終的に優勝を勝ち取ったのはブラカン州在住、韓国語をはじめ、外国語学習に自力で取り組んできたというジェイコブノエル・フエンテベリャさん(25)だ。「外国語を勉強したらどのような利益が得られると思いますか」と会場に問いかけ、自身の韓国語学習の経験からその恩恵についてをスピーチした。

 フエンテベリャさんは勉強し始めて1年半後に韓国へ留学し、クラス言語が英語であるため、授業に遅れをとっていた韓国人のクラスメートに英語を教え始めた。その出会いから、すでに英語を話せる韓国学生も多い中、フエンテベリャさんも韓国語を話す機会や交友関係に広がりが生まれ、語学のみならず韓国文化について、理解を深める結果につながったという。

 それが仕事や旅行、恋愛といった機会を提供してくれたことから、韓国語の日本語学習用テキストを使用しての日本語学習も始めた。「韓国語の経験からすぐ隣にある日本が気になった」とし、「みなさんもぜひ外国語を学んで、いろいろな機会を手にしていってください」とメッセージに力を込めた。

 ▽身近な人の中に

 準優勝に輝いたのはセブ市のコールセンター職員エリナ・ソトヤさん。ソトヤさんは「掛け替えのない人」という題で、日々影響を与え合っている「大勢の人々の中から、どういう人がかけがえのない人と呼べるのか」との素朴な問いかけから語り始めた。「あまり豊かではない」家庭に育ったというソトヤさんにとって、「父はあまりにも当たり前の存在」で、「どれだけ幸せを与えてくれていたか、その時は分からなかった」と振り返った。

 大好きな曲を毎日流す父親とは曲の好みが異なったソトヤさん。「またそれ」と不満をぶつけることもあった。それが最近は父親と同じ曲を聴くようになったという。「父は道端で食べ物を売っていて、売り上げが少ない日の食事はご飯に塩をかけたもの。『こんな食事しかさせられなくてごめん』と謝る父に、父さえいればいいよ、おいしいよ、と伝えていた」そうだ。

 「学校を楽しむことが大事だよ」とも言い聞かせてくれていた父親が病気になり、体調が悪い中、学校のミスコンに参加したソトヤさんを見に来てくれた。その日を境に、病院に連れて行くお金もなかったため、ソトヤさんは学校をやめて2カ月間、父親の看病に徹した。ある日の早朝、父親から呼ばれた。「手を取って。エリナがぼくの力なんだよ。今まで力をくれてありがとう」と言われたという。ソトヤさんの眠そうな様子に「もういいよ。あっちで寝ておいで」と。それが最後の会話だったという。

 ソトヤさんは「朝起きて、どれだけ父の手が冷たかったか覚えている」と涙ぐんだ。かけがえのない人はすぐ近くにいるかもしれず、「周りの人がどれだけ自分に幸せを与えてくれているかに気がついてほしい」。そうした思いを実体験に込めたスピーチだった。

 JFMの鈴木勉所長は、閉会の辞で「苦悩と喜びが入り交じった数カ月間だったかと思うが、今夜は夕食を謳歌(おうか)してほしい」と祝福した。また、参加者を支えてきた「家族や先生、友人ら」への感謝も伝えた上で、JFMは「みなさんが日本語の旅を継続する上で、いつも共にいる」と語りかけた。

 ▽学習歴4年で優勝

 日本航空(JAL)からの日本往復チケットも獲得した優勝者、ジェイコブノエル・フエンテベリャさんはまにら新聞に「他の参加者の話はどれも素晴らしく、まさか自分が優勝するとは思っていなかった。驚いているが、うれしい」と心境を語った。日本語学習は2020年に始め、学校ではひらがなまで学んだが、一度学習を中断した期間も。再開すると同時に、今度は自力での日本語学習に切り替えたという。

 日本語と韓国語は「いずれも難しい言語だが、似通っている。韓国語はハングルを覚えてしまえば、すべて読めるが、日本語には漢字があり、本など今でも全部読めるわけではない」とした上で「それでも日々新しい言葉にぶつかって面白い」。幼いころからアニメ好きで、テレビ番組「テラスハウス」を見たことが、日本人や日本語により強く興味を持ったきっかけだったという。

 フィリピン大で土木工学を専攻したフエンテペリャさんは、自身にとって「言語学習は勉強ではなく楽しみの一つ」と明かす。現在は国際会社のシェアードサービス部門で韓国人向けの会計業務に携わる。一方で「日本語のレベルが上がってきて、日本人対応のチームから助けを求められたりもする」と笑った。日本に行ったら「まだ日本人の友達が少ないので、食べ物以上に、まず多くの人と知り合いたい」との希望を語った。

 今回のスピーチコンテストでは、大使館広報文化センターの松田茂浩所長やフィリピン日本商工会議所の下田茂会頭、JFMの藤光由子・日本語教育アドバイザー(主任)らが審査員を務めた。(岡田薫)

社会 (society)