次世代に語り継ぐ責任誓う マニラ市街戦79年記念式典 遺族団体メモラーレマニラ1945
マニラ市街戦の遺族団体「メモラーレマニラ1945財団」はイントラムロスの記念碑前で、市街戦から79年の記念式典を開催
マニラ市街戦の遺族団体「メモラーレマニラ1945財団」は17日、首都圏マニラ市イントラムロス地区の記念碑前で、市街戦から79年を記念する式典を開催した。米国、メキシコ、オーストラリア、スペイン、ニュージーランド各国の在フィリピン大使館や比国家歴史委員会、比退役軍人協会、そのほか複数の団体や個人が献花し、比海軍兵が祝砲を撃った。式には関係者や代表者のほか、サントトマス大やフィリピン大の学生、フィリピンの戦跡を辿るスタディツアー中の山梨県都留文科大の学生らも参加した。
式典後にはイントラムロス地区にあるバハイ・チノイ博物館で「想起―戦争の記憶」と称した証言フォーラムが開催され、マニラ市街戦を幼い頃に生き抜き、親戚や家族を戦争で亡くした3人が自らの経験を共有した。
在比米国大使館のジョン・グロフ氏は「この地で起こったことを記憶し悼むことと同時に、その後フィリピンが独立し復興するストーリーも忘れてはならない」とし「過去を振り返って悲しみ、しかし希望を持って前を見よう」と呼び掛けた。また、「当時の敵国、植民地支配関係の国同士が、ここまでのパートナーシップを築いてきたとは考えられない」と、比日米3カ国の防衛訓練にも言及しながら、今日の友好関係を称えた。
そのほか、戦時中にフィリピンで日本軍により殺されたり苦しめられたりした中国人やスペイン人についての記憶に触れられた。当時の中国人の虐殺などについて話したカイサ・ヘリテージ財団のテレシタ・アンシー氏は「戦争は衝突の答えではない。平和とはただ戦争がない状態を指すものではない」と締めくくった。
1945年2月3~3月3日にかけて約1カ月続いたマニラ市街戦は世界で最悪の市街戦とされ、日米軍の戦闘の巻き添えや日本軍のゲリラ掃討作戦、集団殺害などで一般市民を中心に比人約10万人が犠牲になったとされている。
▽次世代教育を使命に
日本からこれまでも参加しているNPO法人ブリッジ・フォー・ピースの神直子代表は10歳の息子と一緒に参加。スピーチで「残念ながら日本国大使館が参列していない。私は日本を代表することはできないが、フィリピンを侵攻した日本人として、この悲劇を経験したフィリピンの人々、犠牲者、生存者、その遺族に謝罪したい」と頭を下げると、会場からは拍手が湧いた。
神さんは「私をフィリピンに連れて来た教授が昨年亡くなり、次世代に語り継ぎ教育する責任があるとより強く感じている。10歳の息子がこの瞬間を覚えていてくれることを願っています」と述べた。
▽「伝えることが意義」
式典とフォーラムに参加した都留文科大の学生8人と引率の教授2人は、12~19日に比の太平洋戦争の戦跡をめぐり、戦争体験者の証言を聞くなどのスタディツアーを行っているところで、マニラ市に来る前にはビサヤ地方イロイロ州イロイロ市を訪れていたという。
同大文学部比較文化学科の内山史子准教授は「11月から学生は訪比に向けて勉強してきたが、知識として知ってもなかなかピンときていない様子だった。それが今回実際に歩いたり話を聞いたりする中で、本当にあったことなんだという実感がわいているようだ」とし、「証言者の方は時に明るく話しながら、もう昔のことだから許すと言ってくれたけれど、学生にとってやはり話の内容は生で聞くと衝撃が大きく、本を読むだけでは分からないことを感じ取っているようで、連れて来た価値があったと思う」と話した。
同大2年の馬渡かのんさんは「フィリピンでの戦争を学んでいく中で、詳しいことは何も知らなかったことを恥ずかしいと思った。大学の友人や周りも知らない人が多いと思うので、今回学んだことを帰国してから共有し伝えていくことにツアー参加の意義があると思う」とコメントした。
同大1年の佐藤和佳奈さんは「高校までは広島・長崎の原爆の話がメインで被害者としての歴史を学ぶことが多かった」とし、フィリピン侵攻を知らない友人らに「証言者の皆さんが、戦後すぐは(日本人に対する)怒りや恨みがあったが、起こったことは事実として残るけれど語り継ぐ中で気持ちが昇華されて今は許していると話してくれたことも併せて伝えたい」と語った。(深田莉映)