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連載TAO第5回 つかんだ夢と役に込めた思い 映画初出演でヒロイン役 俳優・モデル 一宮レイゼルさん

[ 1964字|2024.2.3|社会 (society) ]

在日フィリピン人を紹介する連載「TAO」。5回目は日本で俳優・モデルとして活躍する一宮レイゼルさんにインタビュー

一宮レイゼルさん

 日本社会の一員として日本で働き、暮らす在日フィリピン人たち。日本へたどり着いた理由や人生は様々だ。不定期連載「TAO(人)」では、日本で暮らすフィリピン人たちの仕事と人生について聞く。 (東京=冨田すみれ子)

 ▽12歳で日本へ。6年間で学ぶ漢字も1年で習得

日本で俳優・モデルとして活動する一宮レイゼルさん(26)は、首都圏カロオカン市で生まれた。幼少期から母は日本で働いており、妹たちとともに祖母に育てられた。いとこらも同じ家に住んでおり「大家族での毎日は楽しかった」。母はフィリピンパブで働き、比で暮らす家族を支えた。

一宮さんが12歳の頃、母を頼って石川県加賀市へ移住。「母親と一緒にいられるし、夜道も一人で歩けるくらい安全な日本は良かった」。しかし、日本語を全く知らない状態で小学校へ入学したため、勉強は大変だった。

小学校6年間で学ぶ漢字などを猛勉強し、1年間で習得。助けられたのは市のサポート制度だ。一宮さんと妹の2人に、タガログ語が話せる日本人夫婦が付きっきりで勉強を教えてくれた。学校からの手紙なども訳してくれ、日本や言語に慣れるまで、どうにか乗り切ることができた。日本の友達もでき、「大変だったけど、楽しく過ごせた」。日本で娘たちが苦労しないようにと、母は昼はパート、夜はスナックで働いた。

 ▽プログラマーに。そして芸能の夢

高校は実業高校で情報ビジネス科に進学。部活ではメカトロニクス部に入り、プログラミングを独学で学んだ。楽しさを見出し、卒業後は金沢市のIT企業に就職。6年間、同企業でプログラマーとして働いた。転機が訪れたのは、24歳の頃。ふと「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と考えた。

中学生の時、一度モデルのオーディションを受けたことがあった。その際は落ちてしまったが、モデルになりたいという夢は消えていなかった。「このまま30、40歳と歳をとっていったら、挑戦しなかったことをきっと後悔する。今しかない」と決断した。

 最初は石川でポートレートモデルやサロンモデルを始めた。経験を積みつつ、ミスコンに出場し、東京の仕事も受けるように。その頃はまだエンジニアとして正社員で働いていたため、多い時は月に2、3回、東京に夜行バスで移動してそのまま朝から出勤するという生活を続けていた。ハードな生活だったが「楽しかったし、疲れるという感覚もなく、むしろ充実していた」。

 ▽映画初出演でヒロイン役に。運命的な役との出会い

 モデルの仕事の楽しさに惹かれていく中、人生を変える出来事が起こった。映画『フィリピンパブ嬢の社会学』のヒロイン・ミカ役への抜擢だ。人生初の映画出演だが、大役を堂々と演じた。

著者・中島弘象さんの経験を綴った『フィリピンパブ嬢の社会学』(新潮新書)を映画化したもので、大学院生の主人公が研究対象として選んだフィリピンパブで働く女性の役を一宮さんが演じている。映画は昨年11月に名古屋で上映開始し、2月17日からは東京で公開される。

 演技の経験がないためオーディションを受けるか迷ったが「行かないと後悔する」と応募。撮影が始まると、芝居の面白さにのめり込んだ。いつのまにか「将来は芝居一本で行きたい」と強い思いを持つようになった。石川を拠点に撮影を続けることに限界を感じ、会社を退職。東京でフレキシブルに働けるIT企業を探し、芝居の仕事と両立させて働いている。

 ミカの役作りのために、母親が働くスナックに見学に行き、接客業について真剣に学んだ。接客の「プロ」として笑顔を絶やさずに働く母親の姿を見たのは初めてだった。「仕事が大変だとか、嫌なお客さんがいたとか一切弱音を吐かない母ですが、この仕事の大変さや母のすごさを感じました」。

 比の家族のために働くミカには、共感する場面も多々あった。「多くのフィリピン人がそうであるように、家族のためだったら自分がどんなに苦労しても耐えられるし、給料のほとんどを送金してでも家族を喜ばせたいという思いは一緒だなと感じました」。

いつか比での上映もしてほしいとし、こう語った。「海外で出稼ぎをする人が多くいるフィリピンですが、現地で本人たちがどういう思いで働いて送金しているかは、国で暮らす家族は知らないことが多いです。映画を通して、海外で働く人たちの苦労や思いも知ってほしい」。

また、日本では比の治安の悪さなどが取り上げられることが多いが、映画を通して日本人には、「フィリピン人の良い面をたくさん知ってほしい」と話す。そして、介護や製造現場の工場など、日本の様々な業界で一生懸命働くフィリピン人にも思いを馳せてほしいと願う。

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