日本で新しい仕事に挑戦し、天職に出会った女性がいる。フィリピンと日本にルーツがある秋山愛子さん(31)は比で生まれ育ち、8年前に来日してから幼稚園で英語の先生として働き始めた。(東京=冨田すみれ子)
フィリピン人の母と日本人の父のもとに生まれ、ダバオ市で母方の祖父母に育てられた。日本で働いていた両親とは長期休暇に比日を行き来して時間を過ごした。離れて過ごす期間、インターネットがなかった幼少期は国際電話で話し、ネットが普及してからはビデオ通話ができるように。物心ついてから両親と暮らしたことはなかったため日本語はできず、父とは母の通訳を介し、電子辞書を使ってやり取りした。
アテネオ大学在学中、学生団体で小学生の学習支援に携わったことがキャリアのきっかけに。卒業後はマニラ首都圏内のインターナショナルスクールに就職。中学生に比文学などを教え、やりがいを感じていたが、日本にいる父が病気を患い、日本への移住を決心した。
▽園児の成長がやりがい
2015年に来日し、東京のバイリンガル幼稚園で英語教員として働き始めた。初めは日本特有の上下関係などに苦労したが、子どもと接する毎日が楽しく、日本の生活や職場にもすぐに慣れた。
現在は都内のピッキオ・モンテッソーリ・スクールで園児に英語を教える。「子どもたちはスポンジのように全てを吸収します。例え小さな成長でも、日々出来ることが増える過程を見守り、一緒に喜べることにやりがいを感じています」。日本への移住をきっかけに出会った幼稚園での仕事だが、今後もこの業界でキャリアを積んでいきたいと考えている。
▽アイデンティティーに悩んだ時期も
今は比日両国への繋がりが自分の一部だと感じているが、学生時代はアイデンティティーに悩んだ。日本で歌手・エンターテイナーとして働いていた母と父の出会いについて話すと、偏見の目に晒されたり心無い言葉を投げかけられたりすることも。秋山愛子という名前は比の学校では目立ち、大学では留学生と間違われ、タガログ語の初級クラスを受講させられそうになったこともある。一方、日本へ移住すると、病院や銀行では名前から日本人だと思われ早口で話しかけられ、苦労した。「どちらの国にも属していない」と悩む時期もあったが、「今は比日両国へのルーツが私の強み」と自信を持って言える。
日本語の勉強にも励み、父と込み入った話や悩みも、母の通訳を介さずに話せるようになった。多様なルーツを持つ子どもが増える日本社会で、子どもを支えられる職業に就いていることも、自分らしさを活かす道だと考えている。「これからは様々なルーツを持つ人たちに、さらにやさしい日本社会になってほしいし、すでに少しずつ変わっていっていると感じます」。