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10月13日のまにら新聞から

尊厳ある終の棲家を 麻薬戦争犠牲者の遺族支援

[ 2156字|2023.10.13|社会 (society) ]

カトリック神父が麻薬戦争の犠牲者の遺骨を収容して法医学解剖を通じた正しい死亡検案書を作成する支援活動を行っている

遺骨と墓標を積んだトラックの前で、犠牲者の遺族代表の女性らと今後の手続きについて話すビリャヌエバ神父(右)=10月3日、マニラ北墓地で澤田公伸撮影

 ドゥテルテ前政権下で行われた麻薬撲滅戦争によって超法規的に殺された容疑者や市民の数は政府発表で6500人、人権団体によると3万人近い。これら犠牲者の死亡診断書作成に警察が介入し、死因が射殺ではなく「肺炎」などと書かれていることも珍しくないとされる。麻薬戦争の犠牲者の遺骨を墓地から収容し、協力者である法医学専門家による司法解剖を経て事実に基づく死亡検案書を作成してもらい、荼毘(だび)にふした遺灰を教会施設に納骨する活動を行っているカトリック神父がいる。関係者や遺族たちから「ファーザー・フラビー」と呼ばれ慕われるフラビアーノ・ビリャヌエバ神父(52)だ。

 ビリャヌエバ神父は首都圏マカティ市生まれ。大学で経営学修士号を取得し、同市内で広告会社に勤めるなど順調な生活を送っていたという。しかし、違法薬物に手を出し「ほぼ依存症だった」という状況に陥った。しかし、25歳の時にカトリック修道院での祈りと瞑想の機会を得て、信仰の道に進むことを決断。その後、ビコール地域やミンドロ島での布教活動を経て、東ティモールに3年間派遣された。

 ビリャヌエバ神父は、2015年に首都圏マニラ市タユマンにあるカトリック社会貢献活動機関に赴任、まず近所にたくさんいた路上生活者を支援するため支援組織アーノルド・ジャンセン・カリンガ・センターを立ち上げた。事務所を開放して路上生活者に1日3食の食事とシャワーを浴びる機会を提供、また希望者には寝る場所も用意する事業を開始した。食事はご飯とおかず2品を必ず毎回調理し、ボランティアらが給仕する。コロナ禍の最中には1日千人の利用者がいたこともあったという。衣食住の支援を得たことで路上生活者の中から徐々に自立した生活を始めたり、職を得て寄付をしてくれる者も現れた。

 16年に就任したドゥテルテ大統領による麻薬撲滅戦争が始まると、路上や自宅で無抵抗の「容疑者」たちが警官や「デススクワット」と呼ばれる暗殺集団に次々と殺される事態が発生。夫や父親を失った母親や子どもたちのケアが必要だと痛感したフラビー神父は遺族支援プログラム「プロジェクト・パグヒロム(癒し)」を立ち上げる。

 最初は遺族たちの生計支援やカウンセリング、子どもたちの教育支援などを始めた。しかし、安置契約が更新されなかったという理由で、ある犠牲者の遺骨が墓地管理側に勝手に回収され、集団墓地に埋められ行方不明になった。それをきっかけに、自分たちで遺骨を収容し、法医学者によって銃創や死因をきちんと特定した後で、火葬にして教会関係施設に納骨するという支援を開始する。

▽被害者遺族から支援者に

 実際にまにら新聞が10月上旬に遺骨収容作業に同行すると、神父たち一行は協力する葬儀業者と一緒にアパート式の墓地に向かった。そこで遺族代表の女性たちとともに祈りを捧げた後、墓地の一部をノミで壊し、遺骨を収容、神父自らが遺骨の入った収納バッグを担ぎ、トラックの荷台に乗せるという作業を半日かけて行っていた。この日は3人分の遺骨を収容収しただけだったが、多い日には6~7体を収容することもあるという。これらの遺骨はすぐにトラックでマニラ市の比総合病院近くにあるフィリピン大医学部のラケル・フォルトゥン教授に渡される。

 この遺骨収容作業の段取りをすべて行っているのがランディ・デロスサントスさん(45)だった。ランディさんは、おいのキアン・デロスサントスさん(17)=当時=が2017年に麻薬戦争の捜査中だった警官たちに麻薬とは無関係で無抵抗だったにもかかわらず射殺された。彼の葬儀の行列がドゥテルテ政権下で最初の大きな麻薬戦争に対する抗議集会に発展した。

 ランディさんは「おいが殺された時、必ず責任者を追及すると決心した。その後、警察幹部のいやがらせもあって仕事をやめざるを得なくなったが、ビリャヌエバ神父の事業で支援を受けながら、徐々に神父を手伝うようになった」と教えてくれた。

▽尊厳を取り戻す

 また、ランディさんは、今年8月にナボタス市で起きたジェンボイ・バルタサールさん(17)誤認射殺事件について触れ、「事件を知った近所の女性がすぐに連絡をくれた。すぐに海外にいた神父に連絡を取り、神父の承諾を得て葬儀業者にあったバルタサールさんの遺体をすぐに探し出し、フォルトゥン教授による法医解剖を早い段階で行うことができた」と説明する。バルタサールさん事件では迅速に正確な死亡診断書が作成できたことが、警官による犯行が早い段階で明るみに出るきっかけとなったことが分かる。

 これまでに収容し再度の司法解剖を行った遺体は86体。神父たちは麻薬撲滅戦争の犠牲となったこれらの故人の遺灰の入った骨壺を現在は教会関係施設に納骨しているが、近く一カ所に集めて合同慰霊塔を作る計画だという。

 神父らが支援する麻薬撲滅戦争の遺族の中から数人が前大統領らを相手取って国際刑事裁判所に提訴していることから、神父らの活動に対する警察の監視や身の危険などを危惧(きぐ)する関係者もいる。しかし、ビリャヌエバ神父は「麻薬戦争の犠牲者たちに尊厳を取り戻すことが自分の使命」として今後も活動を続ける決意だ。(澤田公伸)

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