連載TAO第1回 比との繋がり感じる仕事 法廷通訳の島田ビトゥインさん
日本で働き、暮らす在日比人を紹介する連載「TAO」第1回。法廷通訳の島田ビトゥインさん
日本社会の一員として日本で働き、暮らす在日フィリピン人たち。日本へたどり着いた理由や人生は様々だ。不定期連載「TAO(人)」では、日本で暮らす比人たちの仕事と人生について聞く。(東京=冨田すみれ子)
刑事裁判で外国人の被告人らの言葉を訳す「法廷通訳」という仕事がある。東京都武蔵野市で暮らす島田ビトゥインさん(71)は、約30年間、タガログ語と日本語の法廷通訳の仕事をしてきた。
初めて来日したのは50年前。外交を専攻したフィリピン大を卒業後、マルコス政権の戒厳令下で海外渡航が制限されていた中、「海外に出てみたい」という強い思いから、日本政府の国費留学生に応募。日本語と日本文学を学ぶことになった。
まずは日本語学校で言葉を一から学んだ。「人生で一番大変だった。つらくて帰国する人もいたほど。でもしっかり日本語を学んだことがその後の人生を大きく変えた」と話す。大学卒業と同時に、在学中に付き合い始めた日本人男性と結婚を決め、日本への本格移住を決めた。
▽通訳で「架け橋」に
日本での結婚生活に慣れることも簡単ではなかった。夫が開業した歯科で受付などを手伝いながら、日本料理の作り方も地道に学んだ。生活に慣れてきた頃には「私のキャリアは?」と悩み、国連大学での事務や外資系証券会社で働いた。そんな時に紹介されたのが、警察署での通訳の仕事だった。
80年代、日本に働きにくる比人が増加し、それに伴いトラブルも多発。事情聴取などの際には通訳が必要で、通訳の仕事を依頼された。「コミュニケーションが取れない双方の架け橋になるような仕事でした」。しかし仕事は昼夜を問わず突発的で、ポケットベルで呼び出される日々。深夜に署に駆けつけるのは体にも堪え、次第に期日が定まっている法廷通訳の仕事に移行した。
最初に日本の裁判の仕組みなどを一から勉強し、偽装結婚、オーバーステイ、薬物、殺人など様々な裁判での通訳を担当した。当時は研修制度も整っておらず、ほぼ独学で少しずつ学んだ。
毎回、裁判の前には大量の日本語の資料を読み込み、どのような発言も正しく訳せるよう備える。「比や比人との繋がりを感じ、通訳の仕事を通して人助けができるとやりがいを感じました」。忙しい時は裁判所を1日何カ所もはしごした。
「法廷通訳の仕事は裁判での発言をそのまま訳すことであり、それ以上はありません。裁判では比人の言葉を聞き、泣きそうになることも。しかし私にできることは訳すことのみなので、いつもベストを尽くして通訳しています」。
▽有志とガイドブック作成
法廷通訳で時に感じたやるせない思いをきっかけに、有志と比人支援の活動も始めた。来日後に言葉の壁や文化の違いで日本の生活に馴染めず、孤立する比人や、親に連れられ移住した子どもたちをどうにか助けたいと、海外から移住した人たちの新生活に必要な情報をまとめたガイドブック『架け橋』をつくった。
現在、気がかりなのは、日本で暮らす比人の「老後問題」。今後も、法廷通訳とボランティアでの比人支援で、人々の「架け橋」になるよう活動していきたいと意気込む。