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6月23日のまにら新聞から

「生前日本人に会わせたかった」 「ハポン」と呼ばれた路上生活者の死

[ 2061字|2023.6.23|社会 (society) ]

マカティ市のエドサ通り近くで路上生活者が死亡。日本人だったと話している

「ハポン」と呼ばれた男性が亡くなった場所。右奥はエドサ大通り=13日午後5時過ぎ、首都圏マカティ市ピナグカイサハンで岡田薫撮影

 首都圏マカティ市ピナグカイサハンのエドサ大通り近くで6月7日午前、「日本人」とみられる男性が死亡した。年齢は50代前半と推定され、少なくとも2年間はマカティ市を中心に路上生活をしていたという。パスポートなどの身分証を含め所持品はなく名前も不明。生前の男性を知る人々はみな、親しみを込め「ハポン(日本人)」と呼んでいた。

 首都圏警察マカティ本部はまにら新聞に「証明できるものがないので断定できないが、日本人だとおもわれる」とし「身元確認が難しく、報告書もまだ上がっていない」と説明した。在フィリピン日本国大使館は「そうした情報には接していない」と回答した。

 ピナグカイサハンは、首都圏鉄道(MRT)3号線ブエンディア駅近くの人口5千人前後の小さなバランガイ(最小行政区)だ。そこでは2021年からハポンの目撃情報がある。ハポンが死亡した7日、連絡を聞き駆けつけたのはバランガイ事務所の職員だった。ところがバランガイ職員とハポンの関わりは希薄で、「バランガイ内で寝泊まりしているのは知っていたが、事務所前を歩く姿を3度ほど見た」との認識だった。言葉を交わした人はおらず、手掛かりはほとんどなかった。

 ハポンは3日間降り続いた大雨の最中、頭上のみ覆う黒い傘の下、半裸姿で眠ったままの姿勢で亡くなっていた。すぐかたわらの祠には聖母マリアの像が祭られている。向かいのオートバイ販売店で主に夜間警備を担当するジョニロ・タマゴスさんは、死亡前夜も飲み水を乞われ渡していた。

 タマゴスさんは「6カ月ぐらい姿を見なかった時期もあったが、だいたいそこで寝ていた」と周囲を木立に囲まれた2メートル半ほどの土がむき出しのスペースと、エドサ通りに面した大きな樹の下を指差した。暑い日は風通しがあるエドサ沿いで寝ていたようだ。「最近は暑く、ここ1カ月ぐらいガソリンスタンドで汲んだ水で、頻繁に水浴びしていた。濡れたまま上半身裸で眠っていた」こともあったという。

 タマゴスさんによると、ハポンは片言の簡単なタガログ語を解したが、世間話などコミュニケーションをはかるのは難しかった。日本大使館に行くよう諭したこともあったが、行きたがらなかったという。中国人や韓国人だった可能性を指摘すると、「彼は日本人だ」と強調した。「元気だったころは、どこからかお金が入ると酒を買って、同じ路上仲間(フィリピン人)と一緒に飲み交わしていた」とも明かした。

 ▽助けていた人物も

 ハポンのことをよく知る付近のコンビニエンスストアの従業員ジョマル・サンフアンさんによると、ハポンの好物はパンシットカントン(フィリピン風焼きそば)で、それ以外にも「売れ残りをよくあげていた」という。同店では2年程前からハポンを見かけだし、「見ない時期もあったが、もっぱらこの辺りにいたようだ」と語った。

 サンフアンさんによると、当初は小太りで健康的、背も高めでハンサムだった。「当時と死亡時のハポンはまるで別人」と言う。「亡くなる1カ月前ぐらいに交通事故に遭って脇腹の辺りが痛いとしきりに言っていた。それからだんだん食欲が失せ、口数も減っていった」と回想した。日本語を話せる店の客が日本語で話しかけると、ハポンは日本語で応じたという。周囲でハポンを知る人は、一様に「日本人だ」と証言した。

 ▽やはり日本人顔

 首都圏4市1町を管轄する遺体取扱所「ロレト」(タギッグ市)でもこの男性はそのまま「ハポン」と呼ばれていた。長年働く職員は「遺体を見ればだいたいの国籍は分かる」。対面したハポンは身長172センチ。路上生活で痩せてはいたが、典型的な日本人顔で穏やかな表情をしていた。髪の生え際は後退し、頭髪と長い口髭と顎髭いずれにも白髪が目立ち、路上生活の苦労がにじみ出ていた。死亡診断書の死因は「肺炎」と記され、サンフアンさんが生前の吐血から推測していた死因と一致していた。

 その他の際立った特徴として、大きな龍の入れ墨が目に入った。前方左肩から龍の頭部は始まり、左肩から背中を斜めに横断し、右胸の下から左腹へと伝う。そのまま左下半身の側方を膝を超え、ふくらはぎまで伸び、後部に回って終わる。左腕にも二つの入れ墨が彫られていた。

 ▽「同じ人として扱う」

 職員によると、3カ月以内に引き取り手のいなかった遺体は、保健省管轄の共同墓地に埋葬される。5人まとめて1カ所に入れられるのだという。「もちろん家族の元に帰してあげたい。大使館にも連絡は取った」とした上で「身元が不明であっても、人としての扱い方に違いはない」と適切な対応を口にした。

 先のサンフアンさんは「ハポンが生きている間に日本人と会わせたかった」と悔やんでいた。本人に何らかの理由で日本に帰国する意思はもはや無かったのかもしれない。ただ、いまだその死を知らずに探している者がいる可能性はある。「ハポン」はいつ何の目的で渡比したのか。今はその足跡が分からずじまいだ。(岡田薫)

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