ラセリス博士講演(下) 立ちはだかる「前政権の遺産」
ドゥテルテ~マルコス政権の分析と比社会が抱える諸問題
先月末開かれた国際学会「第5回フィリピン・スタディーズ・コンファレンス・イン・ジャンパン」(PSCJ)で、66年間比社会研究に身を投じるマリー・ラセリス博士(90)=アテネオ大=が基調講演を行った。後編となる今回は、ドゥテルテ前政権、マルコス現政権に対する分析と、現在の比社会が抱える諸問題を説明した箇所を紹介する。(竹下友章)
ドゥテルテ氏の大統領当選は、潮目の変化を示していた。「貧しい人々のために大胆な決断ができる強い男」というイメージが好まれた。彼の粗暴な振る舞いは、エリートの顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、多くの人を喜ばせた。貧困層など社会から疎外されている層は、政府の腐敗を嘆きながらも、それは「取り巻きの悪徳役人の責任」だとしてドゥテルテ大統領本人を批判しない傾向があったと報告されている。
▽ドゥテルテの「遺産」
マルコス家の権力への返り咲きへの努力は長い月日をかけ少しずつ進展してきた。しかし、公然と故マルコス元大統領を称揚するドゥテルテ大統領の登場により大きく流れが変わった。先の大統領選で国民の大多数はボンボン・マルコスを支持したが、社会学者たちは今、その奥底にある理由を探究している。
マルコス現政権は、前任者の残した「遺産」に向き合い、自らの刻印を刻む必要がある。彼が対処せねばならない前任者の問題は多岐にわたる。コロナ禍からの経済回復、西フィリピン海(南シナ海)における中国の主権主張、米国との関係修復、麻薬問題への対処、超法規的殺害、人権と国際刑事裁判所、デリマ元上院議員とノーベル平和賞受賞者のマリア・レッサ氏という前大統領から弾圧を受けた2人の女性、発達の遅い製造業や高い妊産婦死亡率など他の東南アジア諸国より遅れた分野への対応などだ。
▽家名回復が第一
しかしマルコス現大統領は、これらの問題に正面から取り組むことに急いでいるようにはみえない。彼の優先課題はマルコス家の家名を国際的にも国内的にも回復させることにあるようだ。国際的な家名回復は、国際会議や外国への公式訪問で各国首脳と握手を交わす姿を見せることにより進んでいる。
国内では、教科書の修正を通じてマルコス家の名誉回復が図られる可能性がある。前大統領の長女であるサラ・ドゥテルテ副大統領が教育相を兼任しているため、このシナリオには現実味がある。
市民社会グループは、1986年以来自分たちに欠如していたものを補うため努力している。戒厳令の犠牲者を追悼する団体は戒厳令期の記憶を風化させないための活動を続け、比大は自由記念碑を建設している。市民団体の目下の課題は、2025年の中間選挙と2028年の統一選挙でいかに流れを変えるかということだ。
▽開発の「痛み」とは
社会人類学者は小規模農家、漁民、先住民、都市貧困層のために政策テーブルにつく必要性を強調してきた。不法居住に対する強制立ち退きがなければ、都市インフォーマル経済における女性の貢献はより大きくなる。しかし、郊外の再定住地に追いやられれば、商品の販売先がないためにさらなる貧困に陥る。再定住地は都市内部にこそ必要なのだ。
政府は、貧困コミュニティと連携し大きな飛躍を遂げたNGOから学ぶ必要がある。世界銀行はそうした活動を支援する意思を表明しており、マルコス大統領の回答を待っている。
モール建設や高級住宅地開発のための農民追い出し、地域住民の生活を無視した埋め立て計画やインフラ開発、地域への影響を考慮しない鉱山開発や外資による観光地開発など、政府が向き合うべき多くの問題がある。しかし、大統領はこれらについては消極的で、経済閣僚と官僚任せにしているようにみえる。
▽「文化的分断」
そうした諸問題を抱える中で、特に懸念されるのは「文化的分断」だ。この危機を強調しなければならないのは、富裕層とそうでない層の溝が拡大するのを防ぐためだ。
この議論は政治学者・日下渉教授(東京外語大)が「道徳の政治」と呼ぶものに行き着く。同教授は大衆圏と市民圏とで、同じ現実に対して違う見方を持っていると指摘する。例えば、路上で物を売る行為は貧困層にとって「生存の手段」だが、中間層にとっては「不法占拠」であり、悪とみなされる。
社会科学者は双方の見方ができるよう訓練を受けており、「二重公共圏」における真の相互作用を促進する役割を担う。
NGOや研究者がコミュニティと共同で知識生産活動を行うとき、その結果が正確になる可能性は極めて高い。彼らはコミュニティの視点から課題を設定し、情報を共同生産し、学術誌に発表し、その結果から共同利益を得る。得られたデータを地域住民に分かりやすく説明することは研究者の責任の一部であり、社会から疎外された人々が政治参加するための方向性を提示できる。さらに若い世代は伝統的なメディアだけでなく、SNS上でも疎外された人々の実情を伝えられるようになってきた。
最後にインド生まれの英国系作家のサラマン・ラシュディ氏の言葉を紹介したい。「全体像を見られるのは、枠の外に出たものだけだ」(終わり)