トップに聞く 生活基盤支える金融機関目指す イオンクレジットサービスフィリピン・幾島昌章社長
「先鋭の金融機関として確固たる地位を確立したい」
イオンクレジットサービスフィリピンは、イオンファイナンシャルサービス株式会社傘下のフィリピン現地法人として2013年2月に設立された。23年2月に10周年を迎える。主に低・中所得層に向けた金融サービスを提供している。2019年12月に赴任してすぐにタール火山の噴火、そしてコロナ禍に見舞われた3代目社長の幾島昌章氏に話を聞いた。(聞き手は深田莉映)
―主な事業内容、会社として目指すところは
大手家電加盟店と提携した来店客向けの割賦販売事業、個人消費をサポートするパーソナルローン事業、大手物流業者と提携した3輪事業の3つが大きな柱。まずは親しみやすく便利で分かりやすい金融機関として比人からの支持を得たい。
主なターゲット層でもある、フィリピンで7割の銀行口座を持たないか持てない中・低所得層に対し、金融と技術を掛け合わせたフィンテックやスマートフォンを活用したキャッシュレス・コンタクトレスな最新金融サービスを提供することが長期的な目標。生活基盤を支える金融包括実現に向け、先鋭の金融機関として確固たる地位を確立したい。
高齢化が進む日本と違い、国民の平均年齢も20代前半とかなり若く、消費意欲も旺盛。まだまだ金融リテラシーも低いことや、バヤンニハン(助け合い)精神が強いことから、借りたお金を必ず完済するという意識が若干希薄で、審査や債権回収はやや難点だが、今後も成長が見込まれる肥沃なマーケットだとみている。
―コロナの影響は
世界一厳しいとされるコロナ対策ロックダウンが始まり、販売窓口として機能していたモールも閉まったことで、営業活動を全くできない日々が続き業績が著しく下がった。フィリピンの「ノーワーク・ノーペイ」政策により、給料をもらえていない顧客から債務の回収もできず、政府からの債務・延滞免除令も追い打ちとなって金融業界としては打撃がかなり大きかった。
昨年11~12月頃に規制が徐々に緩和してから順調に回復してはいるが、個人の家計が直接的に業績に関わる以上、インフレによる物価上昇がダブルパンチとなり、見込んでいたV字回復までは至っていないのが現状。
―経営上の信条は
イオングループの共通の行動規範に則って、物事の判断は常にお客様が主語。時に採算度外視で心配になるほど「お客様第一」を徹底している。イオングループは失敗を恐れるよりもチャレンジすることを評価してくれるので何とか結果を出したい。
―フィリピンでの社長として難しい点は
①全員参加②自由な発想と発言③結果を必ず出すことの3点を基本方針とし、トップダウンではなく何でも相談できる社長でいたいと思っている。様々な意見が出ることで最終判断までの側面材料も増えるので「全員で納得して皆で責任を負ってやっていきたい」という気持ちが強い。ただ、それが優柔不断と思われる可能性がある、と赴任前研修の時点で言われていた。
植民地が長かった国という背景も関係しているのか、文化として「イエス・サー」が目立つ国。平均勤続年数も5年ほどで、転職してキャリアアップしていくのが常のフィリピンでは、やはり「ボスが決めたことをこなす」というやり方が目立つ。社長としては「一緒に」やりたいが、話し合いプロセスなどでもあまりその精神が伝わらず「決めてほしい」という姿勢も多く葛藤している。
―社員との関係で気に掛けていることは
赴任してすぐにコロナ規制が始まったので、本社だけでなく、サテライトオフィスで働いていた社員たちも「一度も会ったことがない新しい日本人社長と働く」という特殊な状況で、コミュニケーションを図るのがかなり難しい時期が続いた。自分自身も初の海外赴任で右も左も分からないまま、その中で信頼関係を築くのは精神的にも不安が大きかった。
規制が緩和されてからは、ダバオやレガスピなどのサテライトオフィスの訪問に始まり、休日も日本人とゴルフをするより社員と出かけることに比重を置き、社外でしかできない関係構築に努めた。在宅勤務期間中に観光省の「フィリピン旅行マイスター検定」に合格し、社員も行ったことがない観光地に、社員の家族らも一緒に連れて行くこともしばしば。人懐こい性格の人が多いフィリピン人に助けられながら、こちらから積極的に歩み寄り、「味方」であることを様々な形で伝えて信頼関係を築くことを第一に考えている。時代はリモートや人を介さないモデルが先立っているが、やはり人と人のリアルでの「密」な関係の重要性をコロナ禍で改めて感じた。
―社長の立場とは
言わずもがな責任は重大で、社員が不安にならないようリーダーシップも発揮しなければならず、逃げるわけにもいけない、時にとても孤独な立場。
それでも、社長として何よりも嬉しいのは、社員が「この会社が好きでここで働きたい」と言ってくれること。コロナ禍でやむなく30%の社員を解雇したが、再び応募、再就職に至った社員もいる。
―フィリピン事業のこれから
自社プロジェクトでは、時代に合わせAIなど最先端技術を駆使し、リアルとネットが融合したモデルを模索しながら、これからフィリピンが国として確実に大きくなる波に一緒に乗っていけるように率いていくことを目指している。しかし、フィリピンでは旧態依然とした業務が続き、人と人が「密」な文化が根底にある以上、ここでのビジネスに全てが適用できるのかどうか慎重に検討すべき点でもあると考えている。
―尊敬・目標としている人は
最終的なゴールは「自分自身」。日本は忖度の国で本心を言いにくい文化がある中で、最終的に責任を取るのも、すべて返ってくるのも自分。昔の偉人や知らない人よりも、最後に自分で尻ぬぐいができるところまで、自分へのエールの意味も込めて自分自身がゴールになれるように頑張りたい。
一方で、稲盛和夫著「生き方」に書かれた謙虚さや感謝、利他の精神の大切さは、迷ったときの指針としている。
◇
いくしま・まさあき 1966年生まれ、福岡県出身。慶応義塾大学経済学部卒。三菱銀行(現三菱UFJ銀行)、東日本旅客鉄道、イオン総合金融準備室(現イオン銀行)での勤務を経て、2019年12月からフィリピンに赴任し現職。
もっと聞きたい!
―趣味は
旅行と食べ歩き。ローカルフードも大好きで、特にシシグとサンミゲルライトは最高。
―フィリピンで住むならどこ
アルバイ州レガスピ市。当社のサテライトオフィスがあり、視察を兼ねて訪れたが、マヨン山など自然が美しくとにかくのどかで素晴らしいところだった。
―これだけはほかの社長に負けないことは
愛社精神
―ストレス解消は
趣味の旅行と食べ歩き。日本人会のソフトボールチーム(マニラエンペラーズ所属)にも精力的に参加中。
―自炊はするか
ロックダウン中にカレーやハンバーグの他に、シシグなどのフィリピン料理も作って腕を上げた。
―好きな言葉は
冬来たりなば春遠からじ。なかなか春が来ないのが不徳の致すところ。
―好きな音楽は
桑田佳祐は青春そのもの。その時々の私に対する応援メッセージがサザンの歌。
―好きな映画は
子どもと見ていた思い出があるジブリ映画はなんでも好き。
―子供のころの夢は
弁護士。ただ、言い訳ばかりしているので「弁護氏」になってしまった。
―昔の自分にメッセージを送るなら
大学時代は勉強、部活、恋愛すべてが中途半端で、もっとがむしゃらにやっておけば良かったと思う。社会に出ると勉強がすべてではないが、勉強してきた人とは物事の考え方や判断のベースが明らかに違い、その差はなかなか埋められない。
―最近感動したことは
第104回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で優勝した仙台育英高校の監督のスピーチ。「青春は密だ」という言葉に大きく頷いたとともに、コロナ禍の2年間が思い返された。フィリピンは若年層が厚く、大家族が多くとても「密」。ロックダウンで活動が厳しく制限されたが、皆が助け合って諦めずに頑張ってきた姿を目の当たりにし、この国の発展に微力ながら貢献したいと切に感じた。
―10年後はどうなっていたいか
病気をせず、元気に働いていたい。