「ハンドル操作で救われた命」 パンパンガ州の邦人事故後に死亡
バタアン州バラガ市内で3日午後6時前、パンパンガ州サンタリタ町ディラディラ在住の日本人、関道雄さん(52)が運転していた車が横転し、関さんが亡くなった
バタアン州バラガ市内で3日午後6時前、パンパンガ州サンタリタ町ディラディラ在住の日本人、関道雄さん(52)が運転していた車が横転し、後に関さんが死亡した。同乗していた関さんの家族らの証言や病院の診断の結果、運転中に心臓発作とみられる症状を起こし、搬送中はまだ息があったものの、事故後40分ほどの間に亡くなっていたことが分かった。
事故当時、車には関さんの妻と娘、その親戚の計5人が同乗していたが、いずれもシートベルトをしていて無傷だった。妻のグレース・イシプさん(52)はまにら新聞に「この日、バタアン州に住む親戚を訪ね、一緒に海で泳いだ帰りだった。今考えると彼はあまり元気がなく、その場を和ませるため、体調が悪いのを無理に隠していたようにも思える」と振り返った。
関さんは長年の持病である心臓病に加え、糖尿病や高血圧などを患っていた。医師の処方箋(せん)で10種類以上の錠剤を服用。自宅でのインスリン投与も行っていた。
イシプさんによると、同乗していた従姉妹が、運転する関さんの様子がおかしいことに気がついた。イシプさん自身は事故当時眠っていた。気が付いた時には路肩の工事現場のじゃり山に車が乗り上げており、その勢いでバランスを崩した車が3回転したという。「5~10分ほどで救急隊が到着し、逆さまになったままの車から娘が先に助け出された。早く夫を助けてあげて」と懇願した。「反対車線に飛び出していたら、対向車とぶつかってきっと誰も助かっていなかった。夫がハンドル操作でとっさに救ってくれたんだと思う」と涙ぐんだ。
▽首都圏まで長距離勤務
1969年7月に福島県会津若松市で生まれた関さんがフィリピンへ来たのは約12年前。首都圏での飲食店の運営などを経て、マカティ市にあるホテル・グループのコールセンター部門で、日本語で応対する仕事に就いていた。コロナ以前は長年、バスを乗り継いでパンパンガ州の自宅からマカティ市の職場まで片道4時間余の長距離通勤を続けてきた。コロナ禍でビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPО)業界がテレワークに移行、ようやく家族一緒の時間が持てるようになった矢先だった。
事故に遭った車は2人の娘であるヒカルキンバリーさん(14)が14歳を迎えた約8カ月前の誕生日にローンで購入したものだった。現在ジュニアハイ3年のヒカルさんが、前々からクラスメートが乗る車を羨ましそうに見ているのに気づき、娘を喜ばせようと購入したものだという。ヒカルさんは「週末は自宅の中庭で、親戚らとよくブランデーを飲む父の姿が目に焼き付いている」といい、タガログ語も堪能な関さんを「父とはどんなことでも話せた」と回想した。
▽コロナ直前には取材も
首都圏が防疫強化地域(ECQ)に置かれる直前の2020年3月13日、関さんはまにら新聞の取材に「16日に出社してみなければ分からないが、いつも乗るバスのスタッフに確認すると、バスは動くと言っていた。外国人就業許可証のIDには住所や職場の表記はあるが、職場は私を含め何人かに雇用証明書を発行すると言っている」と先行きへの不安が入り交じった様子で応じていた。
生前の関さんについて、近所に住む60代のソクラテス・バレンシャさんは「彼とは時々酒を飲むこともあった。気さくで誰とでも付き合える人だった。朝早くに関さんが散歩に出ると、その後をたくさんの犬がついて回り、猫もよく彼になついていた」と突然の死を悼んでいた。(サンタリタ=岡田薫)