第二次世界大戦中、バタアン半島が日本軍によって陥落され、「死の行進」が始まって80周年を迎えた9日、バタアン州ピラール町のサマット山国立霊廟(れいびょう)で比米の英雄をたたえ、犠牲者を悼む式典が開催された。
比からはゲバラ司法相、国軍トーレス中将、日本からは越川和彦駐比日本国大使、米国からはヘザー・バリア臨時大使代行が参列。式では比、日、米3国の国歌が演奏され、3国の代表が並んで霊廟に花輪を捧げ、犠牲者を弔った。
初めて同式典に参席した越川大使はスピーチで「本式典に参席できたことを光栄に思う。私の参加は、大戦後に比日が育んできた友好関係の証明だ。戦後、比日の先達の絶え間ない努力のお陰で現在『兄弟よりも親しい友人』と形容される関係までになっている」と述べ、戦後の比日友好の歩みを振り返るとともに、平和への誓いを新たにした。
▽「愛国の炎」次世代に
日本を訪問中のロレンサナ国防相は同日、声明を発表。その中で「困難な時代を生きた通常の比人が、立ち上がり、戦ったという業績を心に刻む。彼らの心で燃えていた愛国心の炎が、われわれ、そして将来世代の心に火を灯し続くことを願う」とし、独立準備政府下の比軍として戦った兵士の栄誉をたたえた。
また、退役軍人事務所のカロリーナ次官は「勇者の日を迎えるにあたり、今日われわれが享受している自由は、戦時中の比人たちによる崇高で無私な行動によってもたらされたことに思いを致す」として戦時中の比人の犠牲を追悼。その上で「バタアン死の行進から何世代も経っているが、2年間のパンデミックとの戦いから経済再建に一丸となって取り組んでいる今日、退役軍人の勇気は、すべての比人の中に生きている」と述べ、戦禍と戦った先人と、コロナ禍と戦っている現代人を重ねた。
1942年4月9日のバタアン陥落後、約7万5000人の米・比軍は、現在のタルラック州カパス市にあったオドネル捕虜収容所まで100キロ以上の区間の多くの行程で徒歩による行軍を強いられた。この過酷な行軍中、1万人とも言われる死者が出たとされる。(竹下友章)