「対処」の選択は被害者の権利 大統領候補の中絶反対発言
次期大統領候補者らはレイプや親族からの性犯罪被害者に対する中絶の合法化について見解を問われ、多くの候補者がこの問題を繊細で複雑なものだと認めている。その一方で、マニラ市のイスコ・モレノ市長とマニー・パッキャオ上院議員の合法化反対意見は被害者に責任を押し付けるものとして批判を浴びている。
モレノ氏は「被害者であるという事実とともに生きることを学ぶべき」などと発言。含意は「被害者になったことは自分が選んだ行動」ということだ。パッキャオ氏は「レイプ犯だけでは子どもはできない」と発言。女性の同意が全く無くとも妊娠の責任は女性側にもあることを暗示している。犯罪者の罪を軽くし責任逃れさせるものだといえる。発言にその意図はなくとも、被害者を非難に晒し、沈黙へと追い込むことになる。
言葉はある現象についての捉え方に大きな影響を与える。性犯罪による妊娠も「望まない」「偶然の」妊娠というと、暴力的で強制的という事実が軽視される。モレノ氏は不正や抑圧を、対処しなければならない被害者の「運命」だと片付けてしまっている。
レイプという犯罪の核は単なる同意の欠如ではなく、同意する人の権利を故意に侵害していることにある。心理学では、性犯罪のトラウマの記憶をどう抑え込もうとも、暴力や非人道的な扱いを受けたことを被害者の体が覚えているため、精神的な影響が生涯にわたる可能性があるとしている。
性犯罪のカウンセリングでは、被害者自身が何をもって「前に進む」ことになるのかを自身が決める権利として尊重している。(2日・インクワイアラー、アンナ・トゥアソン、臨床心理士)