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2月1日のまにら新聞から

歴史、文化を見直す好機 比日両国関係

[ 707字|2016.2.1|社会 (society)|新聞論調 ]

 天皇、皇后が来比した今こそ、太平洋戦争でいったん途切れた日本とフィリピンの長い関係を改めて整理する時期だ。両国間の歴史的、文化的関係は、国交が復活した1956年よりもはるか以前にさかのぼる。

 削った氷にミルク、甘い豆、バナナなどを混ぜた「ハロハロ」の起源が、日本の「かき氷」にあると聞いて驚くフィリピン人は多いにちがいない。子どもの頃によく遊んだ、手を石、紙、はさみの形にして争う「ジャク・エン・ポイ」もまた日本の子どもの遊び「じゃんけんぽん」に由来する。

 1567年に日本船がセブの港へ交易に来ていたという記録を、スペイン統治下の初代フィリピン総督ミゲル・ロペス・デ・レガスピが残している。スペインの比征服前の時代に、日本の貿易商が比人と親しく交易していたことは確実だ。1582年にはゴンサロ・ロンキリョ・デ・ペニャロサ総督がルソン北部に拠点を構える日本人海賊を追い払うため、マニラからスペイン艦隊を派遣した。

 フィリピンの学校では、1592年に豊臣秀吉がマニラへ使節を派遣し、入貢を促す書簡を送ったことは教えられない。これに対し当時のゴメス・ペレス・ダスマリーニャス総督は、ドミニコ会士のフアン・コポスを日本へ送り、秀吉に象などの贈り物を届けて、日本の侵攻を回避した。

 また1609年、メキシコへ航行中のドン・ロドリゴ総督を乗せた船が日本沖で難破したときには、地元の漁師が総督を救助したという。

 私たちはフィリピンが日本の占領下にあった時代の血塗られた歴史を忘れるべきではない。一方で、両国間の長きにわたる交流の歴史も振り返るべきだろう。(27日・インクワイアラー、アンベス・オカンポ氏)

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