ネットの光と影
ミスワールドめぐる騒動
インターネットは本来、万人が何でも書き込むことができる公開討論の場というイメージを持つ。これには賛否両論あるだろう。肯定的に見れば、抑圧された組織でも、この媒体を通じて、報復攻撃や罪を恐れずに他人と意見を交換することができる。
たとえば、性同一性障害のような少数派に対する偏見を取り除く場につながるかもしれない。あるいは、優先開発補助金の不正流用事件に反発する抗議集会は、「アラブの春」のようにネット上で呼び掛けられた。
ネットの陰の部分は、憎悪や批判が急速に広まってしまうことだ。先日行われたミスワールド世界大会で栄冠に輝いた比人女優メーガン・ヤンさんを例に取れば、会員制交流サイト「フェイスブック」上で、「フィリピン人がミスワールドに? 家政婦以外に何も自慢できることがないと思っていた」と嘲笑する書き込みがあった。比国民たちは、ヤンさんを弁護する書き込みをしたが、「民主主義の世界では言論の自由が認められている」などと、当人に反発されたという。
ネットにおける匿名性は人々に根拠のない自信を与える。自身の顔が見えないため、他人について何でも言えるような気にさせられる。
ヤンさんを中傷した人物は、ネット上をかき乱し、自身の発言が注目を集めた事態を楽しんでいる。
ヤンさんだけがネットで中傷されたわけではない。ミス米国の女性も、インド人とのハーフだったことで差別的な書き込みをされた。成功や勝利の裏には必ずねたみがある。
ヤンさん自身はこの騒動に口を閉ざしている。そんな犬どもは無視すべきであり、時間と労力を割くに値しない。(3日・スタンダードトゥデー、ジェニー・オルトゥステ氏)