票売買の背景に窮乏
統一選で横行
フィリピンの選挙では長い間、買票が問題になってきた。この恥ずべき現象は、バランガイ(最小行政区)選挙から国政選挙まで広がっている。今回の統一選では、過去の選挙より、買票が広範囲に横行したといわれる。
問題の本質として、売票がなければ、買票もなくなる。売票と買票は対になって結びつき、これは普通のビジネスの形態だ。売る人がいなければ、何も買えない。誰も買わなければ、売ることができない。
売票と買票が公然と、より広範囲に行われる背景として、窮乏をかこつフィリピン人の存在を理解しなければならない。
政府の統計に出てこないが、極貧でなすすべのない貧困層がかなりいる。自らの一票を金に換えるような、尊厳を売る行為に走らないのは、ごく少数の紳士だけだ。まさに「空腹だから、背に腹は代えられない」のである。初歩的な倫理基準に反するけれども、これを非難することはできまい。
フィリピンでは、政治が大きな商売になるという既成事実が久しく続いてきた。原則として、裕福な者とその一族だけが政治家になりたがる。買票に多大な資金が必要だからだ。選挙の下準備として、銃器を調達し、用心棒も雇わなければならない。ここでも金が要る。
しかし、一度当選してしまえば、任期中に回収できる金は巨額だ。悲しいかな、どんなに能力があっても、金がなければ選挙に出馬することはかなわない。
こうした事情から、フィリピンの当選者は、有権者に選ばれたわけではない。言い換えると、有権者は自由に自らの意思に基づいて投票したわけではない。金と引き換えに投票したにすぎない。その結果として、当選を宣言されただけなのである。(5月28日・トリビューン、オスカー・クルス大司教)