誤った民族主義
学校教育と英語力低下
先日、英語力の低下を嘆くコラムを書いたが、読者からは以下のような反応があった。
「約5300人が受験した司法試験の合格者が949人にとどまったことには、落胆させられた。英語力の著しい低下が実証され、世界の物笑いになる理由がまた増えた。英語で書かれた設問の意味自体を理解できなかった受験者も少なくなかったのではないか。かつて世界第3位の英語人口を誇ったわが国だが、タガログ語を母体とするフィリピン語での授業を義務付けた法律制定により、高卒者の大部分が英語で文章を書けないありさまとなった。このままでは、英語力における、域内他国に対する優位性を失い、海外へ労働力を輸出できなくなるだろう」
私はこの意見を全面的に支持するとともに、現在の惨状を招いた要因として、タガログ語を母語とする民族集団の存在を挙げたい。「ナショナリスト」を自称するこの集団は1946年の独立以降、旧宗主国のスペイン、米国のまね事をして、全比人にタガログ語を話させようとした。さらにアキノ政変(エドサ革命、86年)直後、故コラソン・アキノ政権は、比語を政府機関や学校で使用するよう義務付けた。
ビサヤ地方出身のわれわれは、タガログ語を話せない比人を見下す「ナショナリスト」に対し、「タガログ語を話すことは、決して民族的誇りなどではない」とあらがってきた。しかし、政界のリーダーらは現在に至るまで、わが国が非常に多様な言語を持っていることを理解しようとしない。学校の教授言語を英語に戻さない限り、教育の質のさらなる低下は避けられず、「討論ではなく、歌と踊りで支持を訴える候補者と、公約も知らずに投票する無知な大衆」という選挙の構図が今後も繰り返されるのだ。(26日・スター、ボビト・アビラ氏)