熱しやすく、冷めやすい
再燃する銃規制論議
銃による殺人事件や容疑者射殺が起きるたびに、「銃規制」や「死刑復活」論議が盛り上がる。国会議員や政府高官もすぐに自らの意見を開陳し、大統領府は慎重な見方を示す。お決まりの推移だ。
真の問題は、多数の国民がズボンやバッグ、家や車に銃を持っていることだ。銃の種類は? 不明。1人当たりの銃の数は? 秘密。銃を所持する資格は? これは大きな疑問。なぜ銃を持つのか? 気にするな。銃を持つのに適切な精神状態か? 重要ではない。銃の入手場所は? 銃販売店は許認可を受けているのか? 密輸されているのか?——疑問は山のようにわいてくるが、答えはない。
警察官と国軍兵士は銃を持っている。反政府武装勢力も銃を持っている。政府関係者、政治家、裕福なビジネスマンも銃を持つか、警護に持たせている。空港、港、銀行、ホテル、商業施設、飲食店などで働く警備員もみな銃を持っている。
銃は、全国区からバランガイ(最小行政区)まで、選挙で利用される「3G」、銃(ガン)、暴力団(グーン)、金(ゴールド)の一つだ。
フィリピン共和国の大統領は銃が大好きで、収集している。射撃の愛好家だ。大統領が射撃大会で何回入賞したか? すぐに調べられる。所持している銃の数と種類は? これは銃の管理と手入れを担当している人物が知っているはずだ。少なくとも、現政権の残り4年間、大統領府が「銃のない社会」を目指して銃所持禁止を主導するとは考えられない。
誰かを攻撃するつもりはない。正直に誠意を持って、事実を言っているのだ。1、2カ月もすれば、熱は冷める。いつものことだ。(17日・トリビューン、オスカー・クルス名誉大司教)